次回出張の為のムンバイ備忘録

ホテル送迎はとても高く3000INR近く取られる。PrePaidタクシーでも問題ない。

 

到着ロビー出口右手のPrePaidタクシーはエアコン無しで400INRだった。他は1000や1400と値段はバラバラ。

 

国内便に乗る際には必ず事前e-check inしておくこと。

 

市内移動はUberが圧倒的に便利。エアコンの効いた比較的新しい黄色のナンバープレートをつけた白いセダンで料金は決まっているし、回り道もしないし、タクシーよりも安い。値段交渉の煩わしさもないし、道がわからなくて目的地まで辿り着けないこともない。タクシーはメーターを使わずに割高固定料金で乗せようとしてくるし、到着後に高値で吹っかけてくる。行き先を知らなくて道を間違えたり、目的地周辺であたりのタクシーに道を聞いたりウロウロ迷ったりと非効率。

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ホテルからやインド人が一緒にいる際には会Uberが利用できるが、目的地から帰る際にUberが利用できない。会社携帯にアプリを入れるよう準備しておくべき。

 

調子に乗って辛い物は食べないように。赤いカレーが辛いとは限らない。気をつけるべきは黄色や緑のカレーに潜む緑の唐辛子。

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欧米人は辛さへの耐性が日本人以上にないのでビジネス会食はイタリアンが無難。リゾットはどこも比較的美味しい。

 

国内を旅をする時もトイレットペーパーを持参する必要はなかった。ホテルで必ず済ませるべし。

 

酷暑の中は水をこまめに飲み、昼御飯は慣れないものを口にするぐらいならビスケットや柿の種をつまんで凌いだほうが体調は管理しやすい。

 

現地の人と食事のご相伴にあずかり親交を深めるならば、腹痛に倒れても支障無いように国内旅行は出張日程の最後に組むべし。

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笛ラムネは最強。言葉が通じなくても伝わるし、子供と遊べるし、食べて消えるし、宗教上懸念もない。延泊して史跡観光するならばたくさん持っていくべし。

 

ムンバイ国際空港のGVKラウンジの食事はけっこう美味しい。外で食べるよりはラウンジで食べるべし。

 

使いっ走りのなんだか愚痴のような吐露

総じて強行スケジュールだ。

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上海では4日間で33の面談や会議、そして夜には会食。酷い日には1日9つの会議と会食。金曜日は新卒の子と久しぶりにゆっくりとあれこれ話をしながら飲んだら2時になった。
 
土曜日は夜22時上海発、夜中の3時にデリーを経由して明け方5時半にムンバイ着。ビジネスクラスなのだが、会社の携帯を機上で失った。途中降機した客にすられた可能性が高い。遠隔でデータを消す処理申請やらあれこれに忙殺される。

 

ムンバイでも会議漬けの日々が始まる。9時から19時まで会議。翌日も9時から19時まで会議、そして会食。その翌日はホテルを7時半に出て別オフィスに行きこれまた18時まで会議の連続。そしてインド担当部下と23時まであれこれ話し込んで終了。

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4日目は4時半起きで7時の飛行機に乗りバンガロールへ。バンガロール空港は郊外にありオフィスまで1時間半もかかった。そして5時間会議をして日帰りでムンバイに向けてまた6時間かけて帰る。行きも帰りも飛行機は安定の30分遅延。
 
最終日は午前中は会議、午後は街に出てひたすら市場視察。所得階層ごとに異なる店を見て回る。そしてそのまま空港へ。帰国便も夜行便で日本には朝の7:50着だ。

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いやあ、よう働いたよ、我ながら。でも日本にいる人からしたらあれもこれも滞って勘弁してよ、返事してよ、と思っているかもしれない。隙間隙間に最低限のメールの返信はしたが、日本に帰ったら大量に仕事がたまってるのだろうな。ああ、めんどい。
 
せめてもと思い、土日にエローラとアジャンタ観光をすることに。
 
 
インドの仕事は、こんな問題はインドでしか起きないわな、ということがあったりで厄介極まりない。議論しても紛糾して進まずということもある。
 
ゴールデンウィークだしさっさと日本に帰って子供と遊ぶべきだとも思う。しかし2日間滞在を伸ばしてアウランガーバードに足を伸ばしてとても有意義だった。

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アジャンタやエローラの石窟や仏教芸術を観てインドへの尊敬の念を今一度、感じることができた。そこら中で話しかけてきて、一緒に写真を撮ろうとせがんできたり昼飯に誘ってくれる人懐こいインド人に多く逢ってなんだかインド人を好きだと思えた。
 
42度の猛暑の中、水をガブガブ飲みながら、シャツに塩の結晶を吹き出させながら石窟や砦の石段を登り降り歩き回った。二週間の上海、ムンバイ出張の後なので肉体的には疲労の追い討ちでしかないのだが、心が生き返った気がしている。
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街に出て、旅に出て、なんの関わりもない現地の人に触れて、子供達と笛ラムネで遊んだり、こちらが食べ物をもらって一緒に食べたり、なんてことはないお互いのことを話す。そんなのが精気を取り戻させてくれる。
 
なんだかインドの人とインドの仕事の為に頑張っていけそうだと実感した。自分の仕事だから、という理屈ではなくインドに愛着が湧き、インドのために頑張ろうと思えることは形式では測れない意義があると思う。こんな勝手を許してくれる嫁に感謝。

生活に溶けこむインドの動物達



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聖なるわけでも不浄なわけでもないから食用。

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教会の下で眠る犬。

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 黄昏てみる犬。

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野良犬はやがて世界各国共通の型に辿り着いていく不思議。歪みが少ない平均に近い顔が美人の顔ならば、この野良犬の容姿こそが美しい犬の姿とも言えまいか。

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野良猫は野良犬に比べて少ない。ベジタリアンが多いインドでは動物性たんぱく質の含まれる残飯にありつけにくいので猫には不利なのだろうか。

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Holy COW!なんて叫ぶインド人はいまだ会っていない。

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 インド人の顔の違いより牛のほうが識別しやすいような気もする。

 

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 栗鼠が西瓜が好きとは知らなんだ。縞栗鼠だね。鎌倉の鶴岡八幡宮に住まう栗鼠は実は渡来の台湾栗鼠。こいつはどうだろう。


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何種類かのサルがいる。こちらの手長猿のほうが原始的な振る舞い。

 

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ガジュマルの下で手下にノミをとってもらうのは極楽至極。

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おーそこそこ。人目も憚らず気持ち良さげ。

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あ。。。(目を逸らす子猿)


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最後の晩餐、一人で淋しくホテルで食事していたらフリーダがご一緒してくれるというから期待したらおまえかよ。何代目フリーダだよ。


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牛「ゴー ホーム!」


 インドは人と動物の距離が近い気がする。人の日常のすぐ脇に動物が暮らしているのだが、でも犬猫にすら名前は付けられていない。なんだか不思議。

 

 

エローラ石窟 カイラス山式遺跡水槽を造るなら参考に

アジャンタの広い石窟だけでも驚いていた。それがエローラになると規模が飛躍的に拡大する。

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 アジャンタの開窟に携わっていた夥しい石工がアジャンタ放棄の後にはエローラの開窟に回ったという。エローラの印象はわかりやすい規模の拡大。その巨大さで信者、不信者を圧倒する威容。

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12窟は三階建ての僧院。庫裏など生活に必要な付帯設備を伴う。

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この長い回廊が5本ほど並ぶ巨大空間。「北斗の拳」のカイオウ編を読み直したくなった。そんな空虚感が漂う。なんのこっちゃ。

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三回建ての巨大石窟。巨躯の石仏と太い石柱が並ぶその迫力たるや。数百人の僧侶が並んで座れたのだろう。


しかしアジャンタ石窟に感じられるような仏教僧が籠って修行に明け暮れた密度のようなものは全く感じない。肥大化し大規模化したがらんどう。これがインドにおける仏教末期であることに何がしかの因果関係はあるのだろうか。わかりやすい肥大化と大規模化は狭義の空洞化の裏返しだったのではないか。


無所有を突き詰めた無衣派や、地中の虫を殺すから農業にすらつかない非殺生など厳しい戒律を科すことで知られるジャイナ教徒はカーストを形成し商業に注力し、今日でも0.5%の信徒人口しかいないと言われながらも国家の25%の納税をしているとも言われる。パーシーも互助の団結で知られ、Godrejなどの財閥を形成している。その点、インドで仏教は影響力を持たない宗教に萎んでしまった。

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 それにしても、インドの像の豊胸ぶりはなんなんだろう。誇張表現なのか、インド人は弾力のある豊胸が多いのか。まるで旧式シリコン豊胸。こんな像が並ぶ中で修行するのは禁欲に打ち勝つ為の作為か。

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 13窟以降になるとヒンズー教に変わっていく。石像も牛頭半人やら八面六臂やらファンタジー染みてくる。

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 みんなやはり、撫でるのだろうか。照りが違う。

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エローラの代名詞とも言えるのが16窟、カイラス山の再現を夢見たカイラーサナータ寺院。巨大な岩肌を20万トンもの石を削り出して作り出した巨大一石造りの化物寺院。こうなると、権力者の示威行為。

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時の支配者である藩王に、崩落しないようにとりわけ硬そうなこの岩山をくり抜いて巨大な寺院を作れと命じられるわけだ。完成に1世紀以上かかったという規模なのだから、命じられた時点で「ああ、自分の人生は一生ずっと岩削りだわ」と覚悟したその心境や如何に。信仰と使命感に震える人もいたかもしれない。一生、寝食には困らなそうだ、と思った石工が案外、多いかもしれない。本当にやりたいことは来世でやろうと開き直った石工もいるだろうか。
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 こうして見ると、岩山を削り掘って造られたことがよくわかる。これだけ抉っても崩落しないのだから如何に玄武岩盤が堅いことか。

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かつてはさらに中央の寺院と周囲の回廊が空中回廊で繋がっていたのだそうだ。子供のワクワクを刺激するような設計。

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「静」の下部に「動」、躍動感溢れる飛天と静謐な坐仏が並ぶ。
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一部、漆喰や塗装が残っている箇所を見ると石彫の段階で細かく彫り込んでいたわけではなく、漆喰に細かい細工をしていたことがわかる。


カイラーサナータ寺院がかつては全体が白く、赤で模様が細かく描かれていたその姿を想像してみる。遺跡の朽ちた風合いのほうが好みかね。

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こんな夫婦和合のモチーフも。f:id:mangokyoto:20170502030546j:plain

ジャイナ窟にはこんなマンゴーの樹の下で半跏する女神。仏教やヒンズーの天女なのか素人目には区別しにくい。


エローラを先に観るとアジャンタ石窟が霞んで見えるので先にアジャンタを観た方が良いなどという声もあるらしいが、エローラもアジャンタも似て非なる素晴らしさ。アジャンタの思念が籠ってそうな空気感は他に味わい難いし、時の支配者の強大な権力行使でしか造れないエローラ石窟のスケール感も一見の価値あり。

個人的には感じることが多いのはアジャンタ石窟だろうか。人生の終わりかけに再訪したいのはエローラではなくアジャンタ。

ここでも沢山の人達に声を掛けてもらった。子供と遊ぶには日本の駄菓子「笛ラムネ」が最強であることを改めて確認した。一緒に遊んだ後は表情が一段と生き生きとするように思う。

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なんだかみんな小鹿のような雰囲気の家族だった。特に子供。

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ここまで幼いと効き目はない。

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恒例のセルフィー攻勢。

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撮ってくれと言いながら、いざとなると照れるのはやめてほしい。笛ラムネがないと表情は硬い。もっと買ってくるべきだった。

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アジャンタ石窟グプタ様式仏教芸術の数々

 

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 ムンバイから飛行機でアウランガーバードまて1時間。さらに街から車で2時間の距離にアジャンタ石窟はある。川に削り取られた湾曲した岩壁に30近くもの石窟が並ぶ。雨季も修行の日々を送れるように岩を削り出して作ったのだそうだ。

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目と鼻の先にある滝壺から急激に地形が削られ渓谷が形成されている。軟質だった地質が一気に削り取られていき、石窟が彫られた硬い地質だけが残ったということか。これは僧が逃れたかった雨季の雨の厳しさの現れでもある。

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入口に最も近い第1窟に、法隆寺金堂壁画の源流と言われるグプタ様式で蓮華手菩薩が描かれている。左右に対になって侍るように描かれ、中央にはさらに石室仏殿があり仏陀坐像が説法印を結んで鎮座している。

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 5世紀といえば西洋画は真正面か真横から描いた躍動感の全くないイコン画の時代。日本とて正面か横顔か、表情に乏しい絵画表現ばかりだったかと思う。その時代に身体を優雅にくねらせ、伏せ目がちに斜め下を向くこの菩薩像の優雅な描写は奇跡的。当時はもっと彩色華やかだったのだろうが、今日の彩度が落ちた風情も素晴らしい。


身体の曲線は現代でも通じる美だと思うのだが、唯一、気になるのが左右の眉毛が繋がっている点。フリーダカーロの源流かね。世の中には繋がった眉毛に美を見出す人が古今東西、いたのだろうか。

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 当時は壁画の色も鮮やかで、床には布や織物が敷かれて賑やかだったのだろうか。両側の石室で修行僧が寝泊りしていたとのこと。遺跡となった今は色褪せ、静謐さと神秘さに溢れて素敵だと思う。

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 とても密教的な空気感の濃さ。高度に突き詰め昇華された当時の仏教僧の思念が1500年経っても消えずに留まっているかのよう。気配の濃さは少しおっかない。

 

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 アジャンタ石窟も坐像の下には対に鹿が描かれ、台座の隅には獅子が描かれる。目を引くのが左手小指を右手親指と人差し指で摘む説法印。

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 地球の歩き方には、30窟のうち5窟ばかりを見れば十分などとロクでもないことを書いているが、その選に漏れている窟にも素晴らしいものが多い。

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 このように奥壁に仏殿を持つ石窟が25近くもあるのだが、其々が異なっており、毎回、開窟する度に施主が思うところの最高の美意識を具現化しようと努力したのではないだろうか。

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 石仏好きにはたまらんこの並び。自宅の廊下なんぞが漆喰壁になっていて、一部がこのように石仏を収めるニッチになっていたら最高なのに。

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 残り5つが2階分の高さを持つ仏塔のあるチャイタヤ窟。寝泊りし修行する僧院と異なり、チャイタヤ窟は仏塔など信仰対象を祀ることに主眼が置かれた空間。

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 鯨の肋骨のような天井の梁組。全てが岩壁を一刀彫りの如く削り出しているというのだから気が遠くなる。

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石仏の細かな穴には地衣類が入り込み、緑の斑目となっていた。当時は石肌そのままが露出していたわけではなく漆喰などでさらに覆われていたのだろうか。

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 第29窟には涅槃像がある。柱の奥に拝むその構成といい、造形といい、溜息が出る。

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とても古い史跡や美術工芸は、その考古学的な価値が美術的価値を往往にして上回ると思う。希少だから、歴史的に重要な痕跡だから、その当時の技術にしては凄いから、と。このアジャンタ石窟の素晴らしさは、今の美意識や技術水準に照らしても遜色ない美しさに加えて、経年変化なくして得られない雰囲気を纏っていること。


あの空気感をどうしたら忘れることなくいられるだろう。

 

井上靖さんには敦煌に続いてインドの物語を書いて欲しかったと思う。

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アジャンタ石窟の入口にはなんとも大きなガジュマルの木が気根を目一杯に地に降ろしている。

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これまた石窟とガジュマルというのが合う。ガジュマルの樹容に何か仏教義的な何かを勝手に人間は見出してしまうのかもな。

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関東以北では気根が滝のように流れるほどには育たないものか。 伐採乾燥されたガジュマルの気根の束が装飾品として売られていないものかね。

 

死ぬまでに再訪したい。その時、このブログを見返せたら自分は何を思うのか。どう感じ方が変わっているだろうか。

いつか廃墟水槽を造る為に デカン高原最強のタウラターバード要塞

気温は42度だそうだ。4から5月は全く雨が降らない。

 
馬鹿だ、自分は。こんな高温乾燥した強烈な日差しの下を歩いて回るには軽い綿でできたダボダボの長袖、長ズボンが正解に決まっている。サハラ砂漠ベドウィンスタイルであり、インドの長クトゥラだ。それをよりによって日焼け止めクリームはムンバイに忘れ、短パンTシャツという土地気候に慣れてない白人観光客丸出しな格好できてしまった。救いは昨日、アジャンタで麦藁帽子を買ったこと。

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アグラバード郊外にある12世紀に築かれ17世紀のスルターン朝とムガール帝国との4ヶ月にも渡る戦役の舞台になったという巨大要塞タウラターバードを訪ねた。地上部の広範囲が城壁で囲まれ、200mの高さの丘の頂上までを幾重にも石積みの壁や櫓門が張り巡らされている。

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要塞好き、廃墟好きは一見の価値のある大規模な要塞ではなかろうか。外観の崩れ朽ち具合に反して、一部、砦の中を廊下や階段を登り進めるのも変化があって楽しい。

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突き出た崖の縁に大きめな楼閣が建っており、ファサードにはまだイスラム文様のタイルが残っている。往時はさぞや荘厳だっただろう。少し高みから同じ建物を見下ろすと、かつては更に高かったであろう建物が崩れていることがわかる。元々は何階建てだったのだろう。

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廃墟の魅力は栄えた往時を自分の想像力で補う愉しみだと思っている。十分に朽ち果てていながら、想像を惹起する手掛かりが十分に残っている、そんな廃墟が素晴らしく、ここの要塞は素晴らしい。

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日本の城でいう三の丸あたりで深い堀がある。一度、橋を落とされれば攻め上がるのは相当困難と思われる。この乾季、暑季でも堀の中に水が溜まっているのは流石だが、昔もこの緑色の水は煮沸さえすれば飲むことは可能だったのだろうか。サイフォン原理で遠くの貯水池から水を引けるようになっていたとのこと。

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岩壁は登れないように削り取られたらしい。その他に頂上に向かう方向に偽の門を造り正しい門を反対方向に造るなど侵略者を混乱させる仕掛けがふんだんに有るとのこと。

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ところどころの突き出た地形に円柱状の砲台があり、その上には大砲が据えられている。

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ほぼ山頂には比較的広い平坦部があり、三方を見渡せる楼閣がある。どうやら当時はそれなりに装飾もされていた天守閣のような場所と思われる。ここよりさらに上がるとまた砲台がある。なんといっても規模が大きい。要所に十分な兵力を据えるならば相当な軍勢になりそうだ。デカン高原で最強の砦の一つとされていたという話も説得力がある。

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頂上で道中に一緒になった若者たちの昼飯のご相伴にあずかった。チャパティにカレーという王道。辛くもなく、安心して食べられる味。返礼に柿の種とパチパチキャンディーを差し上げた。

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彼らの腕と比べると私の腕はモヤシのように白い。食器を使わず、チャパティでカレーを掬うようにして食べるのだそうだ。

 

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それにしても、そこら中で写真を撮ってくれとせがまれる。それこそ、壮年の家父から家族と一緒に撮らせてくれだとか、青年達にセルフィー棒で一緒に撮ってくれだとか。四海波模様の青いシャツに麦藁帽子、青い短パンというインドでは見かけない風体で、比較的気の抜けた顔で歩き回っているので声もかけやすいのだろうか。
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42度の酷暑の中を駆けっこして負かされた女の子。

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日本ではこんな女の子がおっさんに写真を撮ろうと誘うことなど考えられない。

 

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安いスマートフォンの普及はインド人の写真好き、撮られ好きに火をつけ、そこら中で勇ましくポーズを撮って写真を撮る様を見かける。そんなセルフィブームは私のような観光客にも、こちらから声を掛けることなく写真を撮らせてくれる被写体があちらから寄ってくるという恩恵をもたらしてくれる。
 
こんな立体感にあふれた廃墟を陶器で造り、120cm水槽に沈めて緋泥鰌を何匹か飼うのが私の密かな夢でもある。水草に適度に覆われた廃墟のアーチや柱の間を潜るように緋色の泥鰌に竜のように長い体をくねらせながら泳いでもらったら幻想的ではなかろうか。
 
 

ムンバイ駐在員妻御用達 高級インド土産ならGood Earthで決まり

こんなところがあるとはね。

 
Lower Parelのフェニックスモールのすぐ裏手、汚い入口を勇気を出して突き進んでいくとひっそりとGood Earthの店舗がある。ムンバイには他にも2店舗あるが、こちらが品揃えが圧倒的だそうだ。知ってる人だけ来れば良い、という店構えと商いで調べずしてまず辿り着けない。

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しかし一度ドアを抜けるとインテリア好きな人が心躍るような世界。青や緑、動物モチーフが好きな私としてはとても好み。ただ、ガラスや金銀が眩しすぎるか。

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駐在員の奥方には人気の店らしく、私が訪れた時間帯はフランス人客だらけだった。

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クッションが豊富。どうやらインドシナが全体のテーマらしく清王朝の皇帝モチーフも混ざっている。

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やはり陶磁器が気になる。

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こんなインドリッチが喜びそうな食器セットも。

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濃いピンクとターコイズで少しばかり伝統的な柄が描かれているという新旧の取り合わせ。なのでポップになり過ぎず高級感が残る。

 

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このティーセットはカップが鳥が描かれた円に収まるようになっている。右手に余剰スペースがあり、そこにビスケットなどを置く仕様なのだろう。カップを持ち上げると、下から鳥の絵が現れるという遊び心。このアイデアは良い。楕円だと型打ちする石膏型が必要になってしまう。角皿で作ってみようか。

 

 

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ガラスコップもインドの花鳥風月柄が細かく描かれており、光を透過した実物は写真以上に綺麗。

 

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壁紙も売っているのだが、驚いたのがこれが日本の唐紙ととても似ていること。

 

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左手の鳥の柄は雲母のようなもので木版型押しされており、うっすら盛り上がっている。

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背景の雲は瑞雲だが、存在感のある象が異国情緒を一気に引き立てる。京都のカフェか飲食店かなんかの店内に使ったら「おや、唐長でも山崎商店でもないし、他では見かけない唐紙で面白いな」と京都に長い人も唸らせるのでは。

 

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二階の奥には飲食スペースがあった。

 

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少しばかりスパイスの効いたミネストローネと、

 

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ハラペーニョの効いたチーズチキンリゾットを頂く。これまで食べたことのない成功した「創作フュージョン料理」でこれを出す店が高円寺にあれば足繁く通ってしまうように思う。

 

タクシーの運転手はまずわからないのでuberか自分で地図で調べていかないといけない。