いつか廃墟水槽を造る為に デカン高原最強のタウラターバード要塞

気温は42度だそうだ。4から5月は全く雨が降らない。

 
馬鹿だ、自分は。こんな高温乾燥した強烈な日差しの下を歩いて回るには軽い綿でできたダボダボの長袖、長ズボンが正解に決まっている。サハラ砂漠ベドウィンスタイルであり、インドの長クトゥラだ。それをよりによって日焼け止めクリームはムンバイに忘れ、短パンTシャツという土地気候に慣れてない白人観光客丸出しな格好できてしまった。救いは昨日、アジャンタで麦藁帽子を買ったこと。

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アグラバード郊外にある12世紀に築かれ17世紀のスルターン朝とムガール帝国との4ヶ月にも渡る戦役の舞台になったという巨大要塞タウラターバードを訪ねた。地上部の広範囲が城壁で囲まれ、200mの高さの丘の頂上までを幾重にも石積みの壁や櫓門が張り巡らされている。

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要塞好き、廃墟好きは一見の価値のある大規模な要塞ではなかろうか。外観の崩れ朽ち具合に反して、一部、砦の中を廊下や階段を登り進めるのも変化があって楽しい。

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突き出た崖の縁に大きめな楼閣が建っており、ファサードにはまだイスラム文様のタイルが残っている。往時はさぞや荘厳だっただろう。少し高みから同じ建物を見下ろすと、かつては更に高かったであろう建物が崩れていることがわかる。元々は何階建てだったのだろう。

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廃墟の魅力は栄えた往時を自分の想像力で補う愉しみだと思っている。十分に朽ち果てていながら、想像を惹起する手掛かりが十分に残っている、そんな廃墟が素晴らしく、ここの要塞は素晴らしい。

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日本の城でいう三の丸あたりで深い堀がある。一度、橋を落とされれば攻め上がるのは相当困難と思われる。この乾季、暑季でも堀の中に水が溜まっているのは流石だが、昔もこの緑色の水は煮沸さえすれば飲むことは可能だったのだろうか。サイフォン原理で遠くの貯水池から水を引けるようになっていたとのこと。

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岩壁は登れないように削り取られたらしい。その他に頂上に向かう方向に偽の門を造り正しい門を反対方向に造るなど侵略者を混乱させる仕掛けがふんだんに有るとのこと。

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ところどころの突き出た地形に円柱状の砲台があり、その上には大砲が据えられている。

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ほぼ山頂には比較的広い平坦部があり、三方を見渡せる楼閣がある。どうやら当時はそれなりに装飾もされていた天守閣のような場所と思われる。ここよりさらに上がるとまた砲台がある。なんといっても規模が大きい。要所に十分な兵力を据えるならば相当な軍勢になりそうだ。デカン高原で最強の砦の一つとされていたという話も説得力がある。

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頂上で道中に一緒になった若者たちの昼飯のご相伴にあずかった。チャパティにカレーという王道。辛くもなく、安心して食べられる味。返礼に柿の種とパチパチキャンディーを差し上げた。

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彼らの腕と比べると私の腕はモヤシのように白い。食器を使わず、チャパティでカレーを掬うようにして食べるのだそうだ。

 

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それにしても、そこら中で写真を撮ってくれとせがまれる。それこそ、壮年の家父から家族と一緒に撮らせてくれだとか、青年達にセルフィー棒で一緒に撮ってくれだとか。四海波模様の青いシャツに麦藁帽子、青い短パンというインドでは見かけない風体で、比較的気の抜けた顔で歩き回っているので声もかけやすいのだろうか。
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42度の酷暑の中を駆けっこして負かされた女の子。

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日本ではこんな女の子がおっさんに写真を撮ろうと誘うことなど考えられない。

 

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安いスマートフォンの普及はインド人の写真好き、撮られ好きに火をつけ、そこら中で勇ましくポーズを撮って写真を撮る様を見かける。そんなセルフィブームは私のような観光客にも、こちらから声を掛けることなく写真を撮らせてくれる被写体があちらから寄ってくるという恩恵をもたらしてくれる。
 
こんな立体感にあふれた廃墟を陶器で造り、120cm水槽に沈めて緋泥鰌を何匹か飼うのが私の密かな夢でもある。水草に適度に覆われた廃墟のアーチや柱の間を潜るように緋色の泥鰌に竜のように長い体をくねらせながら泳いでもらったら幻想的ではなかろうか。
 
 

睡蓮鉢のメダカ

 

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数ヶ月前、メダカをホームセンターで10匹飼った。120円だった。

 

売値は1匹12円。そうなると原価はいくらなのだろう。生産元から販売店までの移動やプラ袋に小分けして酸素を入れる手間などを考えると儲からなさそうだ。何せ原価が仮に5円だとしても粗利が一袋70円。輸送中や店頭で死ぬ奴もいるだろうに。売れ残れば酸素を補充し直す必要もある。熱帯魚コーナーのないホームセンターなので、下手したらその手間を惜しんで酸素が欠乏して死んだら廃棄される恐れだってある。

 

最初は黒っぽい体色だったものも数ヶ月で大きくなり、緋色になってきた。

 

玄関外の睡蓮鉢で飼っている。モミジの木陰に置き、ホテイアオイを浮かべているだけの変哲もない鉢だ。直射日光は当たらないので水温も比較的安定しているかと思う。ちなみに睡蓮鉢はモミジへの湿度補給の目的もある。

 

猫多発地帯だが、メダカほどに小さいと狙われることもないらしい。野良猫が睡蓮鉢の水を飲みにくるらしいので、それでも喰われずにいることを思うと猫の捕食対象外らしい。金魚はやはり猫に喰われてしまうだろうか。

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メダカを飼ったホームセンターでメダカのエサを買い、それを2日おきぐらいにげている。エサ代のほうが高かった。

 

おまえさんたちはたったの12円で売られてしまったのか。道に落ちていても拾わないような金額ではないか。そう考えると不憫で慈しみたい気持ちになってくる。


なにぶん狭い睡蓮鉢ではありますが、のんびり余生を過ごしてくださいな。

 

R座読書館 水槽の席

R座読書館の最前列左手にある水槽席。そこには幅60cmほどの水槽の前に奥行き25cmほどの板が渡してある、小さな空間。



ブラウニー、珈琲碗、急須を並べる。



黒茶の珈琲の水面に明るく照らされた水草の眩しいほどの若草色が映り込む。絶景かな。



ネオンテトラが左右を何もすることがなさそうなのに忙しなく左右を行き来する。それにもまして、神経質なほどの速さでヌマエビが前脚で何かを掻き込んでいる。時折、ベタが水槽の主のように優雅に横切る。それら動きも一切の音がなく異世界を眺めているようだ。日常や街の喧騒から遮断する仕掛けか。


ぼんやりと動きのあるモノを眺め続ける。これを我が家に取り込みたい。

金魚掬い


綺麗なお姉さんと好奇心を目に湛えた少年と店の主人。お祭りに定番のほのぼのとした光景。そのように撮れないのは単に撮影者の技術不足でしかないのだが。



屋台の金魚掬いは金魚救いではないのだよ。過密状態で追い回された金魚は弱っていて持ち帰っても死ぬ確率が高い。しかしそんな状況を生き残った金魚は何年も長生きするものもいる。過酷。


そんなわけでヘタレは屋台の金魚になかなか手が出せない。京都は金魚を買える店が思いのほか少ないのが悩み。

荒廃

炎暑の中、1週間近くも家を空けたのは長すぎたようだ。椛の「鴫立澤」の葉が茶色く枯れて丸まり、京都の寺社から収集した種から育てていた苗が14本枯れて倒れた。幹の太い「鴫立澤」はまた葉が出てくれると信じているが、苗はどうにも回復が見込めない。南無。


それよりもショックだったのが、帰国翌日には元気にしていた金魚がその翌朝には全て姿を消していたことだ。庭に犬とは思えない見慣れぬ糞が落ちていたので、どうやら猫に喰われたらしい。何も帰国直後に襲わんでも。。。


他の生き物の腹に収まったのならせめてもの慰め。懲りずに再度金魚を入手すべく出町柳の木村養鯉場を訪ねた。ここは主力商品が錦鯉なのだが、土佐金や黒琉金など一匹4000円もするような金魚も売っている。小生の予算は一匹300円程度で、巷にありふれた頑健な琉金、丹頂、黒蝶尾が欲しいだけなのでここの金魚は上等すぎる。去り際に水槽が目にとまった。緋泥鰌。薄く紅いドジョウなのだが、龍のように体をくねらせて泳ぐ様が素晴らしい。しかも底に大抵いるので猫の強襲にはやられにくいはずだ。6,7cmの緋泥鰌が750円。ううむ、高いが欲しい。


自動水遣り器と猫避けの防護ネットも設置せねばなあ。出張や旅行をする身には何かを育てるのは難しい。

金魚鉢刷新

ささやかな愉しみで温和に平凡に生きていける自信がある。それで満たされることができる。しかし現代社会人としては向上心の無い人ということになってしまうのだよな。今は良くとも10年後、20年後を考えるとこんな隠居爺のようでは成り立たないのがつらいところ。


金魚鉢を一新した。冬の間に枯れてしまった金魚草を取り出し、睡蓮を沈めた。そこに布袋草を二株ほど浮かべて日陰を作る。ごくごく簡易ではあるが簡単なエアポンプもとりつけた。よしずを半分かけて鉢の半分に影をつくり温度上昇を防ぐ。金魚鉢を直接、直射日光にさらすのは良くない。日夜の水温の変動幅が大きくなってしまうし、藻が発生しやすくなる。しかし睡蓮はよく日に当てることが重要らしい。ここらへんはどうにもならんが、中途半端な状況の寄せ集めでそれぞれが耐えてもらうしかない。そして酸性に傾きすぎないように鮑の貝を入れてみた。


現在の顔触れは紅い頭の丹頂、朱色の劉金、そして黒の蝶尾の三匹。


ううむ。いまひとつ足らない気がする。底に砂を敷いてみようか。鉢の淵に苔を活着させてみようか。金魚が食べられる線の細い水草を少し入れてみようか。はたまた水面の上に直立するパピルスでも植えようか。