MIHO美術館

何か一貫性を持ったコレクションではないらしい。個人の収集した美術品の展示館。

なんでもIWペンという、ルーブル美術館のガラスのピラミッドを設計したことでも有名な建築家が桃源郷をイメージして設計したらしい。桜並木を抜け、吊橋を渡り、見渡す限りの緑の中に現れる近未来的な庵。広々とした石造りの建物は建築やデザインに興味のある人には見応えがあるかもしれない。



てっきり、地方自治体に有りがちな箱だけは立派だが中身はこれから予算と相談しながら収集していきますといった、存続を危ぶんでしまいそうな市立現代美術館の類と思った。


しかし展示品を見ればそんな斜に構えた皮肉な思いも消える。


丸山応挙の孔雀図の屏風、エジプトのホルス神像、紀元前25世紀のカバの置物、バビロニアの精霊と従者の石のレリーフ。素人目にも素晴らしいものが並んでいるのがわかる。考古学的に重要であるとか、希少性が高く、自分だけが所有できるといった価値ではなく、美術品として美しいが故に価値が高いモノ。そういう品々が並ぶ。いつも眺めていたいような品が多い。


美しいモノを愛でる心を皆が養えば人はもっと平和に暮らせる。そういう信念の下に見るものの美意識を刺激すべく作られているとのこと。


収蔵品はけして多くは無い。しかし展示の仕方が素晴らしい。小さいモノには引き込まれるように、大きなモノはその空間全体の雰囲気が支配されるように。中でも感心したのが油差しに華を活けたものなど、いたるところに配された骨董に生花を活けた展示。活け花の嗜みは小生には全く無いが、創設者が追求した美がこれだと言われると大いに納得してしまうようなものだった。例えば、博物館ならば三方向から光を当ててしまいそうなものを、ひとつの光源を像よりも低い段の斜め前方から当てている。足に組み敷かれた悪鬼の表情とその上の憤怒の表情の陰影を見ると、MIHO美術館が見せたい美はこれなのかと腑に落ちるものがある。



新興宗教の教祖様であるらしい。至るところに教祖の美術品への純真な眼差しやその人柄の賛美が記されている。そこに違和を感じる。この美術館が教祖に作られたものではなく信者に作られたもののように感じてしまう。もし教祖が隅々まで意見して作ったものならば、美術品を借りた自己賛美かと疑いたくなる。美術品には名称と年代、作者が記されている小さなプレートが添えられているだけで多くの博物館や美術館と変わらない。



観る物のインスピレーションを制限したくないと言うかも知れないが、どうせなら、教祖の人格賛美ではなく、美術品それぞれの賛美をして欲しい。どんなこだわりを持ってその美術品にどのような美を見出したのか。その美術品のどんな側面を多くの人に見せたいのか。そんな創設者の想い入れを添えた展示にしたほうが創設者の主意に沿うのではないだろうか。



美術館までのアプローチの桜並木の根元には絨毯のように杉苔が繁茂している。満開の時期に是非再訪したい。



http://www.miho.or.jp/
〒529-1814 滋賀県甲賀市信楽町桃谷300
入館料大人1000円
春、夏、秋の不特定日のみ開館。残念ながら館内で写真は撮れない。