比叡山延暦寺

京都の聖域にして、紅葉の名所。


比叡山とともに京都は発展したとも言われるほどの、日本仏教の母体とも言われる信仰の一大中心地である。信長の焼き討ちを始め、中世日本史の中心であり、歴史の積み重ねを想起出来る場所でもある。京都洛中から数十分の近距離にも関わらず、ひんやりとした修験の場の山中に散在する厳かな寺院群と仏像を拝んでまわることができる。国宝でもある本堂は大名から寄進された比叡には自生しない巨大な欅の柱で建てられた豪壮な様を鑑賞できる。


日帰りでロテルド比叡、ガーデンミュージアムをまわることもできるし、比叡山会館に一泊して鉄鉢料理を頂き、朝のお勤めに参加してみてもよいかもしれない。京都巡りに是非加えたい一箇所ではなかろうか。


比叡山は平地よりも早い紅葉の最盛期を迎えていた。緑、黄、橙、紅の錦模様が素晴らしい。



比叡山で拾った紅葉の葉は七つに裂け、非常に綺麗な形をしていた。



根本中堂には全国から寄せられた比叡山全国競書大会の書が貼り出されていた。小学生から高校生まで、総理大臣賞やら滋賀県知事賞やら。どの子も達筆なこと。そんな比叡山だからだろうか、御朱印はどれも流れるような筆跡で見事なものだった。うっかり元三大師堂の御朱印をもらい損ねてしまった。ここの意匠は珍しく興味深い。来年の春にでも再訪した折には忘れぬようにしたい。それともうひとつ。横川中堂の角大師の護符。



根本中堂のお坊さんのお話は興味深かった。一般的なお寺では仏像が参拝客よりも高い所に置かれ、参拝客は本尊を見上げることになる。しかし御堂ではほぼ同じ高さに安置され、代わりに周囲が3メートル掘り下げられた構造になっており、僧侶達はその掘り下げられた段からお経を上げるようになっている。これは全ての人には仏性が備わっており、誰もが仏になれる可能性を秘めている、仏は人の延長線上にいるとの天台宗の考えを現しているのだという。しかし人にあって仏には無いもの、煩悩が故に人は仏へとなかなか近づけない。それが参拝客と本尊とを隔つ掘り下げられた段であり、「煩悩の海」。そして比叡山の僧侶の役割は煩悩の海の底に在って衆生の煩悩の霧を払う手助けをし、願いが仏に届くよう祈ることなのだという。信仰に向き合う僧侶の矜持のようなものが垣間見られた。鈴虫寺の営業説法との違いたるや。お坊さんは30代と思しきまだ若い人だったが、こういう人の説法を聞いてみたい。何を問い、何を思うのか。


梵鐘を突くことができた。思い切り良く突いたら、人よりも大きくゴーンと鳴って山に響いた。音の大きさは煩悩の大きさらしいよと横で嫁さんが言う。連打禁止。