難しい 食

精進料理を頂いた。別段、美味しいものを出そうとはしていないということをおっしゃっていた。単なる謙遜かと思った。いやいや、大変美味しいですよ。さらに話が続く。旬をとっくに過ぎた下り坂の食材なんかも救うような気持ちで使っていると。旬の食材の競演ではないらしい。素材が主役で素材を活かすことを考えるのだそうだ。仮に冬瓜を使った料理が美味くても調理の腕が良いのではなく、冬瓜そのものが美味いだけだと。なるほど。


美味しいものを追求して、食材をあれは駄目、これも駄目と吟味するのは少し違うのではないかとおっしゃっていた。私はここの部分しか使わないのですよとか、拘り抜いた食材を使ってますというのは世間では高い値段をつけられる理由になるのかもしれないが少し違うのではないかと。


しかし美味さを追求することと素材を活かすことは必ずしも相反するものではなく、同義にもなりうるのではないかとも思った。


豚も豚。冬瓜も冬瓜。調理法が下手で不味く出来上がったものを食べて曇った気分になるよりは、同じ命を美味しく頂けるよう調理して「いやあ旨い」と感謝の念を新たにするほうが良い。それが素材を活かすという事で結局同じことを言っているのかもしれない。すると素材を選好みせずに目の前の食材を目一杯美味しく頂けるよう工夫して食べたほうが良いと言うことかね。


美味いものを不味くして食べるなんて傍から聞いたら阿呆なことでしかない。しかしファーストフードの実態は利便性と引き換えに不味くして食っているようなものかもしれない。


自分が料理が下手であるが故に、素材のあるがままの旨さを味わえないのは嫌なものだ。料理の腕を磨きたいと思った。料理もしないくせに。