ほがらかに安らかに老いることの難しさ

三世帯生活が始まり、はや1週間近く。生活を一にしていなかった人達が寝食を共にしていると徐々にストレスは溜まっていく。


そんななかで皆を癒す存在がマンゴー、そして96歳になる祖母。



年を取ると自分の身体が老いて衰弱していくにつれ、意のままにできないことが増えていく。80年、90年もの経験の積み重ねは価値観を固定化し柔軟性や適応力を失わせていく。理想の爺さん婆さんは包容力や優しさに溢れている姿。だが実際には人の話しを聞かずに、老人は敬うべきだと周囲の迷惑も顧みずに我侭に振舞ったり、権威や過去の威光を振り翳して何でもかんでも否定したり。老人を幼子のように扱うことに腹を立てたり、看護士や店員を頭ごなしに見下す人もいる。若い頃の愚かさや浅薄さが年を経れば浄化改善されるわけでもないだろうから、老人が全て人格者かといえば無論そんなわけはない。


怒りっぽい老人というのを時折見かけるが、それは自己愛を傷つけられることに起因する気がする。かつてはそれなりの地位や名誉があった人がぞんざいに扱われたり、何でも自分で出来た人が世話が焼けると迷惑がられて傷ついたり。すがっていたものを失うことへの怖れなのかもしれない。ほがらかに安らかに老いるのはなんて難しいことなのかと思う。老いてからの人柄にその人のそれまでの生き様が容赦なく表れるような気がする。どれも勝手な推測だが、そのように思えてならない。


このままでは、自分は世相に悪態をつくような偏屈爺さんになってしまうに違いない。


穏やかで、人懐こく、感謝の心を忘れず、固執することなく、我侭も言わず、周囲から愛され、自然と周囲が手を差し伸べたくなる祖母を心底、尊敬している。


どうしたらこのようになれるのだろう。周囲に身を委ね威勢を張らない謙虚な姿勢は自分の人生になんら恥じることのない誇りや満足を得ているからなのではないか。