伊勢神宮の森

伊勢神宮は日本国民の最大宗教である神道の総本山にして、皇室の氏神を祭る神社なわけだが、そのような格式にも拘らずその神社のつくりは随分と簡素である。装飾も塗装も施されず、白木のままに立っている。


東照宮北野天満宮のように建物や文化財が素晴らしいわけではない。花木が見事に咲いているわけでもない。外宮、内宮それぞれ30分もあれば参拝は終わる。ここが伊勢神宮だと頭での認識がなければ田舎の大きくて素朴な神社としか思わないかもしれない。


その代わりに目を引くのが五十鈴川と周囲の森の美しさ。荒れないように必要なだけの手入れがされた豊かで美しい川と山である。


しかしこれが本来の神が降りる依代としての社のあるべきなのだと思う。神はけして神社の建築物そのものでも装飾品でもなく、周囲の自然や目に見えず漂う畏怖し敬う何かなのだから。神社に華美な装飾を施すよりも自然を美しく保つことこそが道理に叶っている。依代たる森も山も守れずして社殿普請に精を出しキャラクター御神籤に力を入れるようでは本末転倒だが、伊勢神宮の森に気づかされるということは本末転倒な神社が多いということかもしれない。


式年遷宮という仕組みが神宮を最も古く常に新しい不思議な存在にする。神道の考えとして、建物を新しくすることにより神の生命力を蘇らせ、国家と人の活性化を願うのだという。前回の式年遷宮は1993年。それまでの20年で経済発展は過熱し、93年というのはバブル経済の終焉の事実をあらゆる分野で直視して受け止めることを迫られた年ではなかったか。55年体制が崩壊した節目でもある。それからの20年は停滞する中で経済、文化、国際社会の中で日本が異なる価値観や立ち位置を模索してきた20年だったかもしれない。次の式年遷宮は再来年。この次はどのような20年になるのだろうか。


伊勢の森の新緑の美しさを目にすると、形に固執せず、古びるに任せず、刷新して生命力を蘇らせる式年遷宮という概念が非常に素晴らしいものに思う。