かんばやしの争い

八十八夜を迎えまさに新茶が出始めたところなので「上林春松」で新茶を買い求めたあと、同じく上林を掲げる店の前を通りがかると売り子に「うちのも見ていけ」だの「あそこにあるカンバヤシは田中さんが勝手にやってる全く別店舗」だの言われて何がなんだか困惑した。自覚している以上に下世話にできているようで、現実でこんな昼ドラのような争いがあると興味津々。調べると宇治には3つのカンバヤシがあるようだ。創業450年を謳う上林氏が経営する「上林春松」、創業400年を謳う同じく上林氏が経営する「お茶のかんばやし」、そして創業500年を謳う田中氏が経営する「上林三入」。


「お茶のかんばやし」は実は「上林春松」の社長の弟が経営する店だという。一番謎が多いが平等院前の一等地で観光客を巧みに捕まえて商っているのが「上林三入」。上林記念館に残されている先祖伝来の歴史的資料や器具を所有していることから「上林春松」が一番その伝統的実在性に信憑があるが、観光客が大勢往来する平等院参道にこれまで店舗を持たず、専ら百貨店に卸すなどして商っていた。ちなみに平成22年に念願の直売店舗を参道に開いたとのこと。


勝手に推測するに「上林春松」は少なくとも由緒ある茶屋のようだが、どういういきさつか田中氏の先祖が「上林三入」の看板を掲げてよりうまく商っている。品格を汚すと考えてかこれまで「上林春松」は表だった批判はしていなかったようだ。しかし弟が経営する「お茶のかんばやし」が替わりに表立って「上林三入」を攻撃しているようだ。消費生活センターなどで「セールストークに品格を欠く」などとして煙たがられているのは「お茶のかんばやし」であるらしい。小生に声をかけてきた店だ。「上林三入」も風格はあり近年に俄かに商いだしたようには思えない。田中氏は古くに分かれた婿であったり分家筋であったりするのだろうか。一番古い創業500年を掲げているのはよくわからんが。お茶の美味さで競ってくれれば良いものを、経営者が上林姓かどうかを客に問うなんて興醒め甚だしい。「上林三入」は相手にしとらんのかもしれんが。


京都の老舗では親族間で骨肉の争いをしているところがいくつかある。その泥沼加減の筆頭は遺言の真否を巡って法廷で争ってきた一澤帆布だろうが、他にも和菓子の甘春堂など互いに類似店に御注意下さいと相互に非難しあう老舗もある。大抵は事業継承が円滑にいかず、兄弟間で方針が相違しての末の争いのようだ。他に知ってる限りでは近江八幡たねやや関東の高級ラスクで有名なハラダなどだが、不思議と菓子屋が多い。


分家筋が同業を商うことは理解できる。長兄に不測の事態が起きた際には継げるように幼少時から家業に親しんで来ただろうし、最も経験のある業種で生計を立てようとするのも理解できる。


不可解なのは目と鼻の先に店を構えるばかりか、やがては他方を否定し始めることだ。老舗の看板が単なる知名度ではなく培われた伝統と技術を示すものならば暖簾分けの出自を明らかにしてそれぞれ商っていけばよかろうに。例えば京都の老舗割烹料亭千花から分かれた千尋は息子の店であることは広く知られているし、その味と技術でもって共存している。


残念ながら技術と伝統が兄の方に受け継がれるとは限らない。一澤帆布の場合は銀行家の兄が一時看板を奪ったが弟に信三郎帆布を立ち上げられ総ての職人を率いて出ていかれて立ち行かなくなった。客は看板ではなくその商品の品質に付いていった。


その技術や伝統を連綿とつないでいくことが困難なことは素人でも想像に固くない。一子相伝は事故や不運で途絶える。常に才覚ある後継者に恵まれるとは限らない。


代替わりの度に分岐して資産が細分化されるのも困る。そうなるとまずは先代が跡継ぎを明確に指名しておくことは最低限必要なことだろう。もし他候補者が後継者の方針に納得がいかず、己の方針や才覚に自信が有るならば既存顧客を奪うことなく新規顧客を相手に勝負したらよい。全くの新規顧客相手に勝負できない程度ならば後継者に協力するか黙っていたほうがよい。合意の元に幾人かの職人を連れ出すのも許容範囲だろう。宗家が時勢を読み違えて潰れても分家が新機軸を打ち出して事業を継続して技術を後世に伝えるのでも構わないと思う。


しかしそうはならずに同じ看板のもとに争う事例が多いのは独占欲なのか支配欲なのか名誉欲なのか。楽して最大限の得をしたいのか。伝統の継承から世襲の澱みを取り除くのは実際には難しいのだろうね。いっそのこと上林の看板を賭けてブラインドテストで茶道家100人に味の善し悪しを投票してもらえば良いのに。綾鷹のCMでやっているように。