豆餅

週末に出町柳の商店街を通るたびに出町双葉の前に行列を見かける。豆餅が有名だということは聞いてはいたが、餡子餅の為に並んで買うようでは、息抜きに食べる庶民的な甘味としての意味が無いような気がして久しく買えずにいた。


いくら美味かろうとも、列に並んで疲れてようやく手に入るような疎遠なものであってほしくない。随分と出てくるまで時間がかかるラーメンのように、手に持って食べられずナイフとフォークで食べねばならないハンバーガーのように、小学生が小遣いで買えない高級駄菓子のように、疲れてまでして買う餡子餅などそのジャンルである意義を損ねているとさえ思う。



四条の百貨店では並ばずにも買えるということで嫁さんが買ってきてくれた。肝心な味はというと、「普通に美味い」というやつだ。汗流して長いこと待った末に食べていたら双葉が嫌いになっていたかもしれない。評判倒れだと悪態をついていたことだろう。餡子餅のくせに餡子餅としての役割を全うしていないと責めるかもしれない。庶民的で身近なのが餡子餅の魅力なのだから。


上菓子の作り手が駄菓子の作り手よりも技術的に上なわけでも格式が上なわけでもない。ただ菓子の間に素材と手間と用途の違いがあるだけだ。その違いを超えて祭りあげてしまうと面白くないことになる。仮にそこでしか飲めないコーラなんてものに人が長蛇の列を成していたらやはり滑稽に思う。コーラはコーラ、餡子餅は餡子餅。並んで豆餅を食べるぐらいなら並ばずに長五郎餅を食べるほうが遥かに満足。双葉には全く非の無い話ではあるが。