止むを得ない生存競争

新嘉坡の極端な管理政策や開発独裁、そして他を顧みない誘致政策に嫌悪を覚えるものの、その歴史を少しでも知ると理解できる。日本の統治から解放された後にイギリスへの独立闘争を経てマレーシア連邦を結成するが、ブミプトラと呼ばれるマレーシア人優遇政策をとるマレーシア中央政府華人が大半を占めるシンガポールの間で軋轢が激化し、ついには死傷者を出す暴動にまで発展。そしてマレーシア連邦から追放される形で独立した琵琶湖ほどの大きさしかない小国。独立自体が嘗てのマレー独立運動の盟友であったラーマンからの追放宣言に等しかった事もあって、独立宣言中継の最中に初代首相リークアンユーは涙を流した。


資源もなく、水も殆どマレーシアからの輸入に依存し、外交問題が生じる度に水の供給を停止するだの水の値段を百倍に上げるなどと脅迫されているような始末。戦後イギリス軍が撤退した後には高い失業率に苦しみ、風前の灯火のような状況から東アジアの中心に位置する地の利を最大限に活かし通商国家へと変貌することで生き残りをかけてきた。


独立を率いた初代首相リークアンユーは息子を三代目首相に据える一方で自身は依然として顧問相に座り絶大な影響力を行使する。シンガポールそのものがリークアンユー同族経営している企業のようなものだと考えると専制政治もわからんでもない。シンガポール株式会社の生き残りのためには反対意見を汲む必要も余裕もなかったのだろうし、平均的な国家の体裁を整えるよりも徹底して選択と集中を図り明確な強みのある国家に育て上げる必要があったのだろう。全ての民族や主義思想を持つ人に門戸を開くほどにそもそも国土は広くないし、「嫌なら去れ」という姿勢もブレのない国家運営には必要なのかもしれない。そういったことを考えると、リークアンユーもリーシェンロンも偉大な経営者に見えてくる。