川遊びと陶芸

良くして頂いている友人ご一家にご一緒して、京北の陶芸家ご夫婦宅にお邪魔した。車1台に6人ギュウギュウに乗って曲がりくねった山道を1時間北へ。


茅葺にトタンをかぶせた古い民家が並ぶような集落のはずれにお宅はあった。京都を30km以上北上した桂川の源流近くである。住居、作業場、ギャラリーが建つ眼下には桂川渓流が流れており、まずはそこで子供たちと友人と10年ぶりに日本の川で遊んだ。流れが曲がった深みを潜ってみると川魚が忙しなく行き来している。20?はあろうかという鮎、川睦、京都でゴリと呼ぶヨシノボリの類。立っていると縄張りから排除したいのか足を啄んでくる。殿様蛙や羽化したヤゴ、虻など目を凝らすとあちらこちらに生物がいる。そんなんを子供達が上手に網で掬った。


そういえば小学校の頃、悪ガキ仲間と遠くの山奥の渓流に河鹿獲りしに親に無断で何泊かしたことがあった。友人の親は泣いて怒るほど心配して、一緒に友人を連れだした自分も随分申し訳ないことを思ったが小生の親は「あんたのことだからそんな心配してなかったけど今度から連絡はしなさい」と言われただけで拍子抜けした。しかし銛で突いて獲った河鹿を焼いて食べて、テントで寝て、翌日には河鹿を食べ飽きて帰ったのは愉しい思い出になった。


その後、作業場で土遊びをさせて頂いた。最初は手捻りで自由に器を作り、その後交代で電気轆轤を使わせて頂いた。友人の息子は器を作った後は和式便所などを作り始める始末。小生は埴輪を作ろうとしたが何やら訳のわからない人型になった。極めつけは友人の作品で、無数の人型が埋めつくさんばかりに互いを踏み台にして競い登っているシュールなオブジェ。地獄絵図だの、蜘蛛の糸とカンダタだの、サラリーマン社会の縮図だのと皆の妄想を膨らませて盛り上がった一番の秀作だと思う。




そこのご主人は企業勤めをすることなく陶芸で身を立て、お子さんも立派に育て上げられたそうで、今現在を見ると好きな陶芸で生活し、緑豊かな山麓の渓流を望む高台に住居を構え、男の夢の引退生活を体現しているような塩梅。もちろん昔は現金収入が厳しかったであるとか、車が無いと生活が成り立たないので今後も車を運転できなくなった後を考えると心配だなどと苦労は尽きぬとのこと。ただ、ご夫婦の温和さがそれを感じさせない。奥様の多大な苦労あってのことだけれども、幸せな人生の一つの解のようにも思えた。


さて、その陶芸家のご主人が我々が残したやっかいな粘土の固まりにどのような釉薬をかけるのか、どう焼き上げて頂けるのか。和式便所は酸化焼成すべきか、還元焼成すべきか。モノがモノだけに非常に興味深く楽しみだ。