第三陣 窯出し

久しぶりに窯に行って焼き上がりの器を頂いてきた。相変わらず全ての器はどこかがあららという感じで、駄目な奴ほど愛着が湧くという気持ちになるのを待つしかない。


酸化織部を白粗土にかけて還元焼成したら渋い色になるかと期待したのだが、鮮やかでポップに発色した。上部の滴状に分厚くなっている箇所に青が出ている。線香立てにはなんとか使えそうだ。


黄瀬戸に飴釉薬と織部で加飾したものを酸化焼成した。しかし織部が全然発色しなかった。むしろ白抜けして全体の印象が締まらなくなった。還元焼成すべきだったか。これは鉢にしかならない。しかも屋内用か。


白粗土の鉢に黄瀬戸をかけて還元焼成したが発色が薄く間が抜けている。形は上手く出来たのに残念。折角だからサボテンでも移植してみようか。


丸底の碗に土灰をかけて還元焼成したものは縁が一部縮れた。形は悪くないのに分厚くて持った感触がもっさりしている。もっとギリギリまで薄くつくらんとな。釉薬が固まるとそれがかなりの強度を出すので釉薬を掛けた際に壊れるなどしなければかなり薄くても大丈夫なようだ。土灰の還元焼成はシンプルで好きだ。同じようなのをまた作ってみよう。


陶芸家を目指して修行中の若い女性のブログを見つけて読んだ。一年の修行の集大成として60もの器を焼くのだが、窯から出てきた作は多くが釉薬が縮れたり剥離したりして16ほどがかろうじて売れる品として残った。女性はショックにうちひしがれる。個人としてやっているそこらの作家なら気にせず売ってしまうのかもしれない。しかし器の造形と品質に自負のある名を確立した師匠の元で修業しているからには半端ものを完成品とすることは許されないのだろう。師匠は、一切同情は寄せない。どこか工程に粗があったのだろうと。「たぶん大丈夫だろうと手を抜いたり、なめていると結果はちゃんと悪いものが出てくる。そのかわり、しっかりやり尽くしたものには良い結果を見せてくれる。やった事を下回る結果は出ても、やった事以上の結果は出ない。だからやれる事は全部やる。」なるほど。


師匠とて一回の窯だし作品を全てボツにしたとたまに書いていたりする。陽の目を浴びるのは各工程を経る毎に仕損じが出た後に残った一握り。店で見る作品はその背後に幾つもの失敗品や廃棄品を背負っている。無論、それを全て価格転嫁できる訳がない。仕損じ率を下げることと市場価格を上げることはプロの陶芸家の命題でもある。


構想したものを複数作り、その中の幾つかが満足できるものに焼き上がる。技術の無い素人の気紛れで焼いた一点ものがそんな良く焼き上がる訳がないのだ。その厳しさと不自由さが陶芸に多くの人を惹き込むのかもしれない。