ピルグリム 清水から

日本人は宗教色が弱い国民だとか言われるが巡礼にいそしむ人の数を目の当たりにするとその認識は改まる。リベラルな大都会のアメリカにしか日本人は馴染みがないから保守派のキリスト教徒が強い影響力を持つことに違和感を持つように、あるいはイスラムやキリスト原主義者達の凶行が理解できないように。普段、自分が接点をもっていないからといって彼らがいないわけではない。


で、だ。京都をうろついていると思いの外たくさんの人が霊場巡礼だとか家が帰依している宗派の総本山にお参りに来ている。彼らが布教じみたことも声を上げることもせず黙々と回っているので他の観光客に紛れて気付かないだけだ。


宗教はよくわからんし、自分の信仰心も疑わしい。ただ、自分を省みたり家族や異国の友人の健康や平穏を願いながら、もろもろを思案したり本を読んだりして旅する道中の時間は好きだ。


清水寺で西国巡礼の御朱印帖を新たに買い求めた。廻ってみるか。

松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん