ワイルドスワン

書かれていることがほぼ事実だということに驚愕した。


将軍の妾だった祖母、共産党幹部だった両親、そして著者の女三代の人生を軸に中国の激動と混乱の二十世紀を描く。特権的階級に登りつめるかと思えば数年後には虐げられる屈辱的な地位に陥れられる。毀誉褒貶と地位の乱高下の激しさは何を信じたらよいのかをわからなくさせる。


人のもっとも醜い感情を煽り、利用し、互いに争わせることで中国はソ連KGBのような組織を必要としなかった。人民がお互いに監視し、迫害し、陥れ合う社会的。


古い価値観や文化、因習を一掃すると称して建築、絵画、ありとあらゆる美しいものとそれを造る技術を破壊した。樹木や花壇さえブルジョア的であるとされた。言論は統制され知識階級は強いたげられ自分で考えずに盲従すべく教育された。私的財産所有は禁じられ、公共に奉仕することを求め、コネや特権を廃し革命の為に家族の絆を絶つことを推奨した。しかし文化大革命後に起きたのは反動としての一層のコネや贈賄の蔓延る社会、利他的行動や道徳を嘲笑する風潮、そして他を陥れてでも富を貪欲に追求する競争社会。そんな出来事が文庫本三冊にわたって描写される。
なんだかんだ著者もその兄弟も高級幹部だった両親のコネを最大限利用して時には不正とも言える特権乱用までしてその他大勢が得られない厚遇を得て昨今に至る。さもなくばこの本も世に出せなかっただろう。


ちなみに未だに大学における教授の地位や報酬が共産党員事務員に比べて低いのは毛沢東時代の残滓か。


思い返せば日本も戦前戦中には毛沢東崇拝に引けをとらない天皇崇拝と人命軽視の時代があったわけで、本著に書かれていることも中国でしか起きないことではない。日本の過去半世紀の幸運とも言える社会的安定も当たり前のことではなく、これからの半世紀に動乱や秩序の崩壊も起こりうるのだろう。自分が生きている間、あるいは子供の代には先進国の既得権益や厚遇を当然視する姿勢が災禍を招くかもしれない。


他国より豊かで当たり前、経済水準が他国並みになることを亡国の危機のように論じる昨今。対策としての他国資源の買い漁り競争は抗えない潮流になっている。傍観すれば他の強国に獲られるだけとなると謙虚に構えることもできなくなる。自分を振り返ってもくだらないことだが世界中で寿司を食べるようになってマグロの漁獲制限により価格が上がるようになって、他国の人に対し今まで食べなかったのだから食うな、迷惑だと思っていた節もある。そういう平和ぼけして教訓を忘れた世代が大勢を占める世になって、慢心と勘違いから良からぬ方向に進みそうで怖い。


本著、今から十年前の時点で世界中で900万部、日本でも特に愛読されて200万部も売れた名作だがそれでも京都の書店ではどこにも置いておらず、Amazonで買うしかなかった。新刊や人気作家だけでなく名作を店頭で手にすることが難しい今の商品構成は何か工夫できないものか。

ワイルド・スワン〈上〉 (講談社文庫)

ワイルド・スワン〈上〉 (講談社文庫)