風の中のマリア


オオスズメバチの悲劇的な生態がかなり詳しく理解できる秀逸な小説。ほかに類型を見かけないとても創造的な小説だと思う。蟲好きにはたまらないに違いない。「永遠のゼロ」を著しただけに、未帰還が何頭であるとか、空中戦の表現とか、オオスズメバチの狩りが出撃する戦闘機のように描かれる。


まあ、題名が中ニ病的で痛いのだけれども。日本に古来から生息するオオスズメバチなのだから個体の名前は和風にしてほしかった。オオスズメバチの働き蜂マリアが主人公だ。しかし言葉を語らせつつも例えば服を着ていたり手に武器を持つような擬人化はせずに蜂は蜂のままに描かれるのが好感が持てるし、だからこそ本著は創造的だと思う。しかし途中でマリアのことを大雀蜂帝国の「帝国の犬」と罵倒する甲虫がいるが、これは台無しだ。犬は彼らの数百倍もの体躯を持つ恐ろしい災厄なのだから。しかし「帝国の蜂」と罵倒してもそのまんまで締まらないのもわかる。


日々働き蜂として狩りに出て、巣を作り、幼虫の世話をすることに最初は全く疑いを持たない。帝国の存続が全てであり、帝国の掟と女王蜂には絶対服従すべきだと考える。自我が芽生え、女王蜂のホルモンによって生殖能力を抑えられていること、女王蜂も遺伝的には働き蜂と同じであることなどを知り、葛藤を覚える。ここらへんは人間社会の帝国主義と照らし合わせて政治的な意味合いを示唆しているのかとも思ったが、どうやらそうはならなかった。


スズメバチが秋に向けて虫が少なくなるにつれて攻撃性を増し他種の蜂の巣を丸ごと襲撃することは知っていた。セイヨウミツバチの巣を襲った場合、十匹足らずのオオスズメバチが数万匹のセイヨウミツバチを一方的に虐殺するのが誇張でも小説の作り話でもないのだから背筋が寒くなる。セイヨウミツバチを襲撃した後でニホンミツバチが登場するにあたって、さてはここで蜂球が出てくるな、などと予想できる展開は多い。しかしあまり蜂の生態を知らない人にとっては驚きの連続なのではなかろうか。


キイロスズメバチの巣を襲撃する段に至っては、オオスズメバチの生存をかけた総力戦として描かれる。オオスズメバチが昆虫界の食物連鎖の頂点に立つ憎たらしい強者だと思っていたが、彼らとて非常に過酷な生存競争の中を辛うじて生を繋いでいることがわかり、見方が変わる。


働き蜂はメスしか生まれないメカニズム、働き蜂が女王蜂殺しをするメカニズムを遺伝子のキャリアとしての確率性から説明しているのは面白い。私達の肉体は遺伝子を運ぶ器に過ぎず、私達の自我も自分で意思決定しているようでいて遺伝的本能の発露でしかないという学説もあるが果たしてどうなのだろうか。自分自身も祖父、祖母、曾祖父、曾祖母の思考を引き継いでいるのだろうか。


風の中のマリア (講談社文庫)

風の中のマリア (講談社文庫)