満福寺の美仏

黄檗という少し辺鄙な宇治の近くの駅に満福寺という禅寺がある。開祖が日本にインゲン豆を持ち込んだ福建省出身の隠元和尚という中国人の高僧で、他にも印刷・煎茶・普茶料理隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹・木魚などはどれも隠元禅師が持ち込んだものらしい。日本が誇る文化や風物詩のあれもこれも外来だったわけだ。今ではひっそりと佇む寺だが日本の文化を大きく変えた歴史上、重要なかつての文化の発信地なわけだ。


作法も読経も未だ中国式の唐韻で行っている京都の中の小中国のような寺。流れに全く取り残された異空間然としている点に惹かれる。満福寺は不思議な魅力のある仏像が多く好きな寺でもある。



このお寺で有名なのが強烈な印象を残す布袋像。他で見る温和な表情だけの一般的な布袋像にはない厳しさというか鋭さのようなものがなんとなく感じられる。





隠元和尚以来、13代に渡って86年間もの間、満福寺の住職は代々中国からの渡来僧が勤めてきた。今風にいうなればExpat、片道切符の海外駐在。その当時の僧侶の心境や如何に。あくまでも信仰の普及のために、仏徳を積む為に、そういう覚悟と意志で来たのだろうな。




腹に仏を宿した羅睺羅尊者。釈迦の息子とされている。「羅睺羅は顔は似ていないしお釈迦さまの息子ではない」などと中傷もされたらしい。実際彼の顔は釈尊に似ておらずかなり不細工だったそうだ。そんな噂を聞いた羅睺羅は「顔は不細工でも私の心は仏である」と言って胸を開けて見せたという。これは中国で作られた逸話らしいが。