三丁目の夕日64

三丁目の夕日を観て来た。茶川役の吉岡秀隆が自身が「北の国から」で育ったことを述懐するように、この映画も子役の成長をそのまま見守るような国民的映画になりつつある。


義理人情と家族愛のわかりやすいホームドラマと言うこともできるが、陰惨なシーンの刺激の強さを競ったような昨今の映画に比べて遥かに観ていて心地好い。気軽に泣ける。


何せ悪人が誰一人として出てこない。今回も最初は酷い人と思われても皆、これでもかというほど良い人。古き良き時代の映画なのだけど、いつの時代でも過去は古き良き時代なのだろう。昔はもっと人と人の間に温もりがあったなどと言われても、昔とて今と変わらぬ程度に善し悪しがあったと思う。経済成長の裏で取り残され、水俣病やらの公害や油症やらの企業の儲け主義と安全軽視の犠牲になる人達もいた、と指摘する人もいるだろう。それこそ米ソ冷戦中で核戦争の脅威が高まる危なっかしい時代でもあった。


今の時代に生きようと、温かく人情味溢れる人間関係を築ける人もいれば、その時代の潮流に振り回されたと後世の人から思われるような不本意な生き方をする人もいるだろう。時代のせいには出来ないし、どう生きられるかは個個人の意識、器と人格の問題なのだろう。「嫌なことは皆忘れてしまうもんだよ。思い出すのは楽しい思い出ばかり」と祖母が言っていた。三丁目の夕日はそうやって出来た映画なのだろう。


結局、楽観的なファミリードラマのくせして、訴えかけてくる幸せとは何かというメッセージに対して何一つ否定できないのだよな。