この写真のどれかの一部が髑髏に見える。どれかの一部は鶏の頭に見える。泥鰌に見える。
でもそれは単なる水蒸気以上のナニモノでもないのだが。同じものを見て、自分は他の人とは少し違うように受け止めていると実感したことが最近、ちらほら。それを楽観的、好意的に受け止められれば受け止められるほどオメデタイというか能天気になれるのだろう。物事の受け止め方がその人にとって世界なのだから。
でも実体の無い物に意味を見いだそうと頭をひねって、ああだこうだと騒ぐのはどうだか。だから吉兆の徴だの占いだのっていうのは好きじゃない。
唯識論ってこういうこと?
マンゴーは賢い犬だ
マンゴーは賢い犬だ
マンゴーは賢い犬だ
仕事は楽しい
仕事は楽しい
仕事は楽しい
人生は楽しい
人生は楽しい
人生は楽しい
ん。自己暗示をかけることとも違うような。