イタリアテキトウ回文

テレビで各国国民性比較を取り上げた番組をやっていた。曰く、テキトウな国民性だと自覚する国ランキングでトップはイタリアだという。公共交通機関がまず時間通りに来ない上に、世界遺産にも落書き三昧、道はゴミだらけ。清掃員が煙草をポイ捨てするのだと言う。では適当ではないことは何かと問うと、人との約束は守るのがイタリア人だとの答え。そこで10人のイタリア人と6時に広場で待ち合わせる約束をしたところ、時間通りに来たのは誰もいなかったという真性のテキトウさを証明するオチまでついてくる。それでも、陽気でどこか憎めない。自分もテキトウなら幸せに生きられる国のような気がした。


しかし、直ぐに思い直す。豪華客船が航路選定ミスで座礁、転覆し、船長が救助の指示もせずに我先に逃げたという事件が先月あったばかりだ。混乱から幾人もの乗客が亡くなった。その問題の船長はイタリア人とのこと。いやはや、テキトウすぎるでしょう。



流石にイタリア人の恥だと散々に避難され、船長は自宅に隠遁中だそうだ。大振りな手振りで嘆いているかもしれない。でも彼に悪意はなかったと思う。客を助けたい以上に自分が助かりたかっただけで、一言でいえばテキトウだっただけなのかも。


私にしろゴミよ。
味方守りたげに逃げたりも、、、またか、
見よ、見殺しにしたわ。

(わたしにしろごみよみかたまもりたげににげたりもまたかみよみごろしにしたわ)


ううむ。イタリアンな回文が出来た。文法がテキトウという意味で。


日本のように相対的に責任感が強く生真面目で、むしろ神経質なくらいきっちりしてるほうが信頼できて安心して暮らせるのだろうか。いや、テキトウを自覚しているイタリアは原発なんてものは持たないことにしている。どちらが良いのだか。


謝らない国民性ランキングは一位インド人、二位フィリピン人なんだそうだ。そんな人達に囲まれていることになる。小生はイタリア人的感性を高めて仕事に取り組む所存。