家庭料理考

主婦あるいは主夫の能力ってのは金銭的に報われないものなのか。そんなことを考えていた。主婦はタダ働きだとか、背景には社会的な男尊女卑と男の無関心があるだとか、上野千鶴子みたいなフェミニズムを論じたいわけではない。


主婦スキルの主要分野として子育て、料理、掃除洗濯があると思うのだが、そのうちの料理スキルに関しては技術や知識集積が膨大で結果が料理の良し悪しにすぐ反映される。美味しく健康なものを食べることが日々の生活の上で多くの人にとって大きな喜びであり、家族の健康維持や子育てに密接に関係する重要な分野でありながら家庭料理の上手下手はどう評価されるのか疑問に思った。


例えるならば顧客はごく数人の同居家族、時折尋ねる親類、ホームパーティーに呼ぶ友人程度と対象人数は少ない。しかし健康や喜びという点から範囲は狭くとも深度のある需要と言えまいか。一方で技術や知識に長けた主婦がそんなに多いとも実は思っていない。スーパーの総菜頼みだったり、友人宅で御馳走になって「ああ、うちのほうが美味いや」と子供心に思ったことも多々ある。世間一般に経済市場では、需要が供給を大きく上回る場合金銭的に価値が高騰するのだろうが、主婦や主夫が料理上手だったとしてどんな評価なり待遇の差に反映されるのだろうか。主婦や主夫が料理を上達させる為のインセンティブは何なのだろう。


パートナーからの愛情の増加?
美味しいものを普段から食べられることによる充足度の向上?
家族がより健康になってくれること?
家庭内での自分への尊敬や感謝?
家族が家庭料理で満足してくれ外食頻度が減ることによるコスト削減?
婚活市場でより倍率の高いパートナーを射止められる?


反証として料理が下手だと上記が達成できないということになるのだろうか。料理が下手だから愛が冷める、人生が不幸になる、家族が病気がち、子がまともに育たない、家計が高くつく、結婚相手を捕まえられない、そんなことはあるのだろうか。料理が下手でも支障はないように見受ける。


中国人の友人との会話を思い出した。中国では夫婦どちらも料理を作る場合が多いが、日本人が夢想するように凝った中国料理を作っているわけではないそうだ。思いのほか適当らしい。逆に日本人の主婦があれこれ夜の献立やら弁当を研究して試行錯誤しているのが驚嘆らしい。根底には金にならないものに時間を割くのは無駄という姿勢が透けて見える。素人が中途半端に凝るよりも、味はそこそこでもまともな食材で適当に料理しても健康の維持は図れるではないか、と。専業主婦が料理に時間をかけるよりは、共働きして稼ぎ、美味しいものを食べに行きたければ料理屋にいけば良いではないか、という合理的な考え方。金になるスキル、ならないスキルがあり、家庭料理のスキルは後者らしい。


一般論として業務に役立つスキルなり技能を向上させると組織内で良い結果を出しやすくなり昇進したり高度な仕事について収入も増加したりと、経済的に何がしか反映されることにつながる。必ずそうなるとは言わないが、そうなる可能性がある。家庭料理のスキルを向上させるとどんな恩恵があるのだろう。東南アジアを始め、家政婦を雇うのが一般的な国では料理の巧拙は大きな武器になるし、実際に自分が家政婦を雇った際には「この人は料理も上手だ」というのが決め手になった。しかしその市場は日本に殆どない。


美味しく手際良く健康的な料理を作るのはかくも大変なのに、家庭料理の巧拙は家族の充足度を高める「なくても困らないがあったほうが喜ばれる」程度のものなのだろうか。金銭的に、あるいは目に見える形で報われないものなのだろうか。家族と自分を悦ばす為のもので、対価うんぬんを考えることがそもそもずれているのか。


教えて、世の中の偉い人。。。