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ヒンドゥーと仏教

思索 旅 遠出

ヒンドゥー教というのは何なんだろう。一見、仏教に似ている。


ヒンドゥー教においてはお釈迦様はビシュヌの一化身で言わば観音様が千手観音や馬頭観音のように姿を変えて現れたものらしい。だから仏教を否定しているものではなく、仏教をも内包するより完全なものとして位置付けられているそうな。


バラモン教の土壌に仏教が生まれ、それをも内包するようにヒンドゥー教がある。それはユダヤ教がありキリスト教がその土壌から生まれイスラム教がイエスを預言者の一人と認めながらもさらに完全なものとしてイスラム教を位置付けているのと似ている。


面白いことにインドでは他言語に翻訳されたクルアーンすら認めない厳格な性質を持つイスラム教とヒンドゥー教が一部で融合している。タージマハールを築いたマハラジャは三人の后をそれぞれイスラム教徒、ヒンドゥー教徒キリスト教徒から選んで相互が共存すべく教義の緩和や調整も行い平和を築いた。


ようは仏教は、発祥したインドで廃れたわけではなくヒンドゥー教へさらに発展したと一般的に見られているわけか。教えも梵我一如であったり因果であったり輪廻であったりと聞いたことのある仏教馴染みのもの。ただ、そういう意味では未だヒンドゥー教仏教の違いがよくわからないのだが。


ちなみに象の頭をしたガネーシャは商売の神様、学問の神様としてシヴァ系のヒンドゥー教徒間で特に信仰を集めている。このガネーシャはシヴァの神后パールヴァティーが自分の垢から作った垢太郎で、ある日、旦那であるシヴァに間違われて首を跳ねられてしまったらしい。激怒した神后にシヴァは次に通りがかった者の首をすげ替えると約束したが、次に通りがかったのは象だったというオチ。適当な話だ。変わりに首を斬られた象の体は打ち捨てられたのだろうか。


このガネーシャ、実は日本仏教にも名を歓喜天あるいは聖天と名を変えて象の頭を姿で祭られている。そして山科大聖天もその一つであるらしい。本尊が秘仏とされているので気付かなかった。日本では一般には、夫婦和合、子授けの神として信仰されているのだそうだ。


実は家にガネーシャの真鍮像がある。これは国民がほぼ仏教徒であるタイの仏像市場で随分と安く買ったものなのだが、タイでもヒンドゥー教は溶け込んでいるようだった。


そんなところにも日本とインドとタイの時空を越えた繋がりを感じて、インドがより身近に感じられる。


それにしても印度の石仏は素晴らしい。