陶器祭

五条坂の陶器祭に行く。楽しみにしていたのだが期間中に二泊三日の出張が入ってしまったので、火曜日に強行して行った。


8割以上昨年と同じ作家や店が出されている様子。気に入って興味深く見ていた店で度々、鉢合わせる人がいたのだがどうやら得意の客らしかった。飲食店経営者かと思ったが大阪で器屋をやっているらしい。


作家とのやりとりで、この値段なら素晴らしいんじゃないだとか、この器は少し焼きが甘いなあといったことを言っていた。作家のほうも、直させて頂きますだとか、これは率が悪いので蕎麦猪口と同じ値段はしんどいです、付け高台なんで、といった返事をしていた。小売店が供給業者を品定めする場でもあるらしい。


陶器祭りは一般客に作品を知ってもらう場の役割があるようで卸値で売る店が多い。だから洛中に取り扱い店があったりするのだがそこよりも3〜5割安い。祭の数日限定ということで小売店にも容認してもらっているのだという。


器を観ていると、「珍しいね器に興味あるの」とよく声をかけられる。若い男は少ないらしい。その一方で年寄りなんてのは大概皿は十分持っており、割れない限り買い替え需要の無い陶器は年寄りにはなかなか売れないらしい。若い者にも売れず年寄りにも売れないとはしんどい話だ。ある人は手仕事は廃れる一方だとぼやいていた。皿一枚に絶対値として数千円払えるか。数食分の値段にもなるし、ニトリにでもいけば大量生産品が数百円で手に入る。自分も陶芸をかじるようになって製作の大変さが少しはわかるようになったので、一枚二千円の皿が消費者にとって高い一方で、製作側からしたら歩留まり率と手間と期待収入から逆算した二千円はかなり絞り込んだ控え目な値段。両社の間に横たわる埋まり難い溝に戦慄する。


昨年買った店の店主が当ブログを観た上にこちらの顔を覚えていて死にたくなった。買った作品の組合せと相手の顔を一年間覚えているのだからたいしたものだ。自分が焼いたがらくた陶器も観られたようだ。いや、屑みたいなものしか焼いていないのに、偉そうにあれこれ言う小賢しい客で申し訳ない限りだ。


陶芸をかじるようになったからこそ、器を見てそれがいかに大変か少しはわかるようになったのだが、だからこそ労力と技術を思えば安いぐらいの作家作品の値段と数百円の大量機械生産品との価格差に絶望する。
実際に絶望して職人は減り続けているのだろう。