ザ・ボクサー

胸の熱くなる映画だった。スポーツ映画で過去最高の作品だろう。単に過去の栄光をひきずるろくでもない麻薬中毒の兄や狭視野なマネージャーの母と絶縁してどん底から再起を図るというのではない。クリスチャンベールが演じるディッキーのろくでもなさは観客に「早くその兄と手を切れ」とハラハラさせるが、その兄こそが仲違いをする恋人や家族を繋ぎ合せ、弟に土壇場での勝利への執念を吹き込む。なんて愛すべき兄なのだろう。兄が、恋人が、母が、父が、皆が立ち直ろうとする救いの物語なのが良い。


良作。



製作経緯に実現への情熱と執念が覗える。Wiki抜粋。
2003年7月にスカウト・プロダクションズが映画化権を手に入れた。ポール・タマシーとエリック・ジョンソンが脚本執筆の為に雇われ[2]、ルイス・コーリックによって書き直された[3]。2005年前半にマーク・ウォールバーグが製作に参加し[4]、「非現実的な格闘シーンにはしたくない」と語った[5]。2007年2月、アメリカの配給のパラマウント映画は、兄弟愛と救済のテーマを強調する目的でコリックの草稿を書き直すためにポール・アタナシオを雇った。ウォルバーグは2007年6月にマサチューセッツ州での製作開始を望み[3]、マーティン・スコセッシに監督させるために脚本を読ませたが、断られてしまった[6]。2007年3月にダーレン・アロノフスキーが監督として雇われ[7]、9月にはスコット・シルヴァーがリライトの為に雇われた[8]。

撮影は2008年10月開始を予定され[9]、降板したブラッド・ピットの後任はクリスチャン・ベールが務めることとなった[10]。また、アロノフスキーは『ロボコップ』のリメイクに取り掛かるために監督を降板した[11][12]。ウォルバーグとベールはアロノフスキーの代わりにデヴィッド・O・ラッセルを選んだ[10]。アロノフスキーは製作総指揮として本作に係わり続けることとなった[12]。2009年4月、レラティビティ・メディアが出資に名乗りを上げ[13]、翌月にはワインスタイン・カンパニーが国際配給権を購入した[14]。2009年7月13日より、33日間の予定、1100万ドルの予算の下で主要撮影を開始した[10]。

撮影はマサチューセッツ州ローウェルで行われた。ボクシングの試合のシーンはツォンガス・センターなどで撮影された[15][16]。マーク・ウォールバーグは役作りの為にトレーナーを雇い、その結果この映画の出演料よりも50万ドル多くのギャラを彼らに支払った[17]。