どうしたもんだか


中国生活が4年になる陽気なラテンアメリカ人の友人と久々に食事をした際の話をいくつか。


友人の部下の中国人が給与が望んだほどに上がらなかったことに不満を持ち、月250元高く払ってくれる他社に転職したという。その彼には今後も社内で成長の機会があると思われたし、たった月250元の差で転職するなど理解できないと友人は部下に伝えたという。後日、バーで友人が好きなウィスキーを飲んでいる際に転職した元部下を見かけたので誘ってみたら、ウィスキーなぞ払う金がないと固辞したという。より高い給与の仕事に転職したのではないかと聞くと、なんでも転職後数カ月してクビになったのだという。たった250元で転職する奴はほかの会社が300元高い給与を提示してきたら簡単に辞めるので信用できないと言われたとか。。。


今から30年前、40年前の農村は貧しかった。農村で全員が十分に食べるほどの食料が無かった。そんな時代があったからこそ未来よりも今日明日の現金を求める。どうなるかわからない不安があるから多少の不正をしてでも得られるうちに得られるものは全て得ようとする。そして得た金を高級品やらモノに変えておく。


友人が昇進した時、同僚ら45人近くを料理店に招きもてなしたという。中国人の同僚らは感謝し昇進を祝った。皆が去った後には半分以上残された大量の皿。これでもかと頼んで、「気前よく」残す。中国ではごく普通の経済的な充実感が得られる祝宴の光景なのだろうが、ひどく悲しくなったという。都市部から貧しい時代の記憶は無くなり、都会人から食材やもてなしてくれた人や店への感謝の念も消えた。上等な料理の残りを包んでもらい、家に持ち帰り運転手や家族でわけて少しは気が治まったと言っていた。


別に中国人を批判をしたいわけではない。数日間の缶詰の会議の中でも中国人同僚同士が競争意識を燃やして対抗し合っているのを目の当たりにした。とても好戦的で向上心が強く競争的だ。それは中国人にとって生来のものだというわけではなく、彼らとてそのような環境の中で強烈なストレスを受けながら日々を送っているように感じた。


なんだか、虚しいものに駆り立てられて虚しいものに苦しんでいる。それは日本に帰って身の回りを見渡しても変わらないのかもしれない。中国のほうが顕在化されているというだけで。子を持つとなおさらどんな価値観を持って育ってほしいかを考えてしまう。価値観は押し付けるべきものではないのは重々承知だけれどもそういった苦悩に絡め取られて欲しくない。