仏教は斜陽産業らしい


昨日、寺に朝の参禅に行き、他の客が皆帰られたので友人の若住職と暫く話していた。お寺の業界も斜陽産業で大変なんだとおっしゃっていた。現代の人には禅宗は必要ではないのかもしれん、と。超常の奇跡など一切なく、自分に厳しく向かい合うことを求める禅宗はウケが悪いと。しかしそれこそ迷信にまみれて現代感覚では容易に信じられなくなってしまった仏教と違い、複雑化する社会で孤立化を深める人達が自分に向き合う上で光明となるのではないかとぼんやりと思った。自分にはどうすることもできん世界の話だけれども。ぐだぐだ思い悩んでひきこもっている奴は寺でも押しかけてみたら良いのに。


結局、悩みの種なんて大昔から変わっていない。大きな進展を見せたのは科学ぐらいなもので、迷信だかをとっぱらった禅宗のような仏教は依然として救いになりそうだと思うが、どうなのだろう。



50歳ぐらいで子供が手を離れたら修行して坊さんになってみたらどうや、などと冗談をおっしゃるのだが全くもって無理だろう。なんだか理解し間違えて、虚無感に覆い尽くされてしまいそうな気がする。俗世にどっぷり漬かりながら禅宗の哲学や知恵のかけらになんとか縋るぐらいが丁度良いのだと思う。



パラミタミュージアムで拝見した釈迦十弟子像。