iPhone5

ついに我が家にもiPhone5が来た。文明開化だ。今まで我関せずと傍観していたのだが、そろそろ世の中の動きに少しは追いつかなければとも思っていた。巷で騒がれるほどのものなのか、iPhone5で生活がどれだけ変わるのか興味がある。0円のガラパゴス携帯から6万円リース払い。その投資に見合うのか。


利点
観光地などで疑問に思ったことをすぐにWEBで調べられるのはなんとも便利だ。時代祭を観にでかけて、時代祭の起原やら成り立ちを知りたいと思い立ったらすぐ答えがわかる。何時にどこを行列が通るかもわかる。すぐに紛失する上にゴミになるパンフレットやら紙媒体が不要になるので助かる。


GPSで自分の現在地を地図上に表示させ、目的地への行き方を電車、自転車、車、徒歩など手段別で、さらに最短時間や最短距離などの方法で調べることができる。これも地図を持ち運ぶ必要がなくなるので便利。


内蔵カメラの画質が良い。一眼レフを持ち歩かなくても撮影を楽しめる機会が増えそうだ。動画撮影、編集までできる。常に携帯し、起動も早いので赤子や犬の何気ない瞬間を撮れる可能性は高まる。


Siriは思った以上に操作性が上がっていて便利。ボタン操作せずに携帯に話しかけるだけで週末の天気を確認したり、友人の携帯番号を調べたり、親に電話をかけたり、メモを取ったり、目覚ましをセットしたり、店の住所を調べたり。ボタンを押しても同じ結果が得られるのだけれども、声で支持を出して操作するなんて近未来的で楽しい。


多目的な用途の機器を一手に集約する簡便性は疑いようがない。テザリングで外出先でもパソコンにメールを取り込めるようになる。本や音楽再生機器やカメラなんかを個別に持ち運ぶ必要もなくなる。財布とSUICAiPhoneだけで身軽に街に出ても大抵のことができるようになる。


疑問
TwitterFacebookなどで不特定多数に、「今、出町柳にいます。近くに暇な人いたらランチしましょう」みたいな人との繋がり方を楽しんでいる人は多いらしい。しかし親しさの度合いが異なる何百人と繋がっていたら誰が応えてくるかはわからないし、応えてくれた人を断るのもなんとも失礼。独りでいることを過剰に恐れて八方美人的に誰でもいいから繋がっていようとするような人間関係は面倒くさいし性に合わない。ちなみにFacebookなどで誰かの書き込みを読む時間は格段に増えた。手持無沙汰でなんとなく面白いネタを求めてアクセスしてしまう。一部の人が携帯端末を手放せなくなり中毒症になって実生活に害が出る理由がわかる気がする。


音楽、電子書籍、ゲーム、WEBのニュースは内容が充実して一つの端末からアクセスできる便利さがある。これらで通勤時間を容易に潰しやすくはなったが、つきつめると小説でも持ち歩いて道中を読むのでもmpegプレイヤーか何かで音楽を聴くのとかわらない。その場で多様なものが手に入ってしまうが為に、さして必要としていないくせに手に入れてしまう。大した意味がないものが便利になると漫然とした時間浪費が増えるだけのような気もする。道具は道具でしかないし使い手次第だろうから、使い方は考えないと。


データと同期化する、共有する目的をもっていないので、いまいちその分野の利便性が実感できない。


アプリというプログラムをあれこれと搭載すればできることは広がるらしい。iPhoneを高性能のハードウェアととらえた場合、PCとて既存のプログラムやアクセサリでできることは知れていて、自分の望む目的に応じたソフトウェアをどう活用するか次第。iPhoneの真価もアプリ次第なのだろうか。未だ活用しきれていない気がする。


無目的な暇人には有害な、漫然とした暇つぶしを助長する機器。その機能を意義のある何かに活用する人にとってはより効率を上げる利器。これが今のところの感想か。ありきたりだが。既成概念を打ち砕くような何かには出会っていない。半年後にはどう認識が変わっているだろうか。