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コクリコ坂から

コクリコ坂から」というジブリ作品をテレビで上映していた。60年代の情緒に溢れた派手さはなくとも、丁寧に描かれた好感のもてるものだった。


見終わった後に残るのは少しの寂しさ。描かれているのは主人公の甘酸っぱい青春と恋愛なのだが、そんなものよりも一貫して感じたのは時代に取り残されて行くものの哀愁。


取り壊しの危機に見舞われるカルチェラタン。戦争も終わり、新しい時代、これからの時代という機運と期待に浮かれ舞い上がる学生達。オリンピックを前に急速に変わりつつある街並み。勢いに乗る理事長の会社。


物語の山としてカルチェラタンは古きものの良さが見直され取り壊しが撤回される。しかし最後まで時代に取り残されたように描かれて気掛かりなのが風間青年の育ての御両親。もっとなんとか救いのあるように描けないものかね。


そもそも橘、小野寺、澤村という三人が親友の誓いを立てた仲だった。しかし橘は幼子を残して戦死し、当時小野寺は海外航路に出港中で不在。澤村は駆け落ちをして小さな家の二階を間借りして暮らしており、駆け落ち相手は妊娠していた。澤村は橘の遺児を連れ帰るも、妻は自らの子を妊娠しているし難しいということで、たまたま赤子を亡くした風間夫婦に赤子を押し付ける。


澤村、小野寺、橘の三人の友情や、駆け落ちしたり、橘の遺児を連れ帰る澤村の奔放さや漢気を賞賛するように描かれている。しかし冷静に考えると澤村も小野寺も橘の遺児にたいしたことはしていない。小野寺は巨大な商船で部下を何人も率いる船長となって登場する。澤村自身は亡くなるが澤村の妻は海外で学ぶ大学助教授として登場する。新しい時代の担い手。


対照的に取り残されているのは風間夫婦。
三人の男達の友情物語の一員ですらない。
例えは悪いが、拾って来た犬をうちでは飼えないからほかに貰い手を探して来なさいと母親に怒られた子供のような澤村からタライ回されてきた乳児を受け入れた風間。
澤村、小野寺が新しい時代の流れに乗っていく中で、古く小さな木造タグボートを繰り貧しく暮す。
澤村の娘が毎日揚げる手旗信号に毎日手旗信号で返答していたにも関わらずこれまで一切気付かれていなかった風間。
育てる義理の無い橘の遺児を愛情を掛けて育てあげたにも関わらず、その遺児に記憶にすら無いはずの本当の父親が誰かを再三蒸し返される風間。
寡黙で華やかさに欠け、しかし一番責任感を持ち、行動してきたはずなのに、風間夫婦の光の当たらなさは何なんだろう。


まわりを振り回して自由奔放に振る舞う饒舌な人が陽の目を見る一方で寡黙に目の前の責任を果たす人は華も話題性もなく、時代に埋もれ、取り残されていく。明治維新の時代に零落していった武家にもそんな人が多かったのかもしれない。


架空の物語ではあるが将来医者を目指す澤村の娘と、貧しく公立大学にしかいけなさそうな橘の息子はその後、結婚するのだろうか。「大概、女って上京して医大で知り合った男と結婚して院長夫人兼医者になりながら「昔は純情だったわ。相手の経済力や職業も気にせず好きになれたし。」みたいな回想をするんだよな」と嫁に毒を吐いた。嫁は「なんであなたはいつもそういうひねくれた観方しかできないの?私は地位も金も無い男と結婚したけど」と抜かしおる。そもそも、「小野寺さんの船のほうが大きいね」と言い出したのは君のほうだ。


そんなわけで「コクリコ坂から」は舞台脇で陽の当らない風間夫婦の物語。小生は誰が何と言おうとも風間の親父を支持する。

コクリコ坂から [DVD]

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