祖母の戦中望郷歌

帰国後の東京出張の際に祖母に会いに行った。大正三年産まれ、今年で99歳になる。


しっかりと会話の出来る祖母だが、もう私のことが誰だかわからない。未だに私の名前を出すと小学生の男の子の姿が浮かぶらしく、目の前のおっさんと結びつかないらしい。流石に脳も98年も経つと草臥れてしまうらしく、可愛かった孫の姿をわざわざ三十路の姿に更新するのも面倒になるのかもしれん。


その祖母が今年になって、とある歌を歌いだした。70年間、一緒に暮らしている伯母も聴いたことがない歌だった。突如として湧き出した地下水のような記憶に皆、不思議がった。そして伯母と父の間では聴き取れない歌詞は何かの民謡だということになった。


最初に、歌詞の断片を摑んだのは母だった。


「これ、英語の歌じゃないの?
"ろんぐうぇいとーぴかでーりー"って
Long way to Picaderyじゃないかしら。
ここなんて確かに"ばっとまいはーとらいじゃー"って言ってる。
らいじゃーはright thereよ、きっと。
そうよ、これは望郷の歌なのよ。」


うちの母がインターネットなんぞを使いこなすとは予想外だった。二節の歌詞を英語でgoogleに打ち込み、検索すると結果が出たのだそうだ。


なんでも、第一次大戦中にイギリスで作られ兵隊の間で流行った遠く離れた故郷を偲ぶ歌なのだそうだ。


祖母は子供の頃、横須賀で海軍兵の寄宿舎のようなものを営む両親と暮らしていた。お櫃にご飯を入れて出したりと手伝っていたそうで、兵隊さんには可愛がってもらったそうだ。right thereがいつ、らいじゃーになったのかはわからない。日本帝国海軍兵がイギリス兵か誰かに教わった際には既にそう変わっていたのかもしれない。


その後、暫くしてイギリス兵もアメリカ兵も敵国兵になった。祖母は疎開先の防毒マスク工場で働き、空襲に遭って焼夷弾が降る中を幼い父を脇に抱えて川に飛び込み、死体の中を掻き分けて逃げた。


終戦後、祖母は祖父が戦地から戻れた時に会えるようにと品川に戻った。アメリカの進駐軍の兵隊はどうだったかと祖母に聞くと、そんなに悪い感じではなかったよ。親切だったよ。と言う。横暴、横柄なミリタリーポリスの話を聞くもんだと思っていたので拍子抜けした。


望郷の歌を教え合う相手がボタンの掛け違いをこじらせた挙句に殺し合う。だからといって双方ともに人間性が豹変したわけではないのだろう。どちらも本質的には変わりないのだと思う。なんだか自分らは不思議で、危うい。祖母に歌ってもらいながらそんなことを思った。