面子と過剰な宴会

最終日は宴会を開いてねぎらってくれた。伝統的な建築様式で、なかなかの好みだ。煌びやかな高級店に連れていかれるより良い。


四合院とは違うのだが、大きく囲い込まれた空間の中央に円形に調理釜が並んだカウンターがあり、それを囲むように個室や客席がある。細部を見るとオンボロでそこは中国。


蒸した紅芋や馬鈴薯などの温野菜、スペアリブ、三種類の麺類など、卓上が無数の料理で埋め尽くされる。今回の滞在中で一番美味しかった。


食べきれないほどの料理でもてなすのが中華流とは聞くが、後には2/3近くが残された。フィリピンではそんな時、包んで貰っていた。もったいないから明日の朝食にするだとか近くのスラムの子にあげると言っていた。中東で自宅に招かれた場合は客人が食べ終わった皿は下げられた後に家族で食べる為、無理に完食せずに残してあげないと家族の分が無くなる。そんなことを思い返すが、ここでは誰も持ち帰らないらしい。それが文化だと聞いてはいたが、目の前でこれだけの食べ物を粗末にされると宴会の華やぎなど台無しに感じる。もてなそうというその気持ちだけで十分。


私が箸でほんの少しばかりほじくった30センチほどの魚のソース煮は、他に誰も手をつけなかった。獲られた挙句、卓上を飾るだけで棄てられる魚は浮かばれない。日本でも1/3近くの食料が賞味期限切れ等で廃棄されるという。しょうもない世の中だ。


食べきれない料理でもてなすのが礼儀らしい。豪快で太っ腹なのが美徳らしい。そういえば、こんなニュースがあった。春節の休みに故郷で同窓会の集まりがあり、そのうちの二人が見栄を張り合って宴は全て自分が払うと互いに譲らなくなり、遂には殴り合って肋骨が折れる重傷を負ったとか。自分の社会的成功を相手に認めさせたかったらしい。


豪快で太っ腹に振る舞いたいなら、親の世代の戦争を持ち出して、責めたり奪ったりするようなケツの穴の小さいことはやめたら良いのに。我先に他を押しのけ列に割り込む太っ腹なんてのもいない。飢えた人々を傍目に飽食する豪傑が物語に出てくるだろうか。