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読谷やちむんの里 人間国宝の系譜

陶芸


読谷村座喜味にあるやちむんの里へ。読谷のアリビラに泊まっていなかったら家族を連れてこられなかった場所なので嬉しい。


人間国宝に認められた金城次郎さんの様式や技法を受け継ぐ陶工達がここ、やちむんの里に工房を構え、それぞれの工房だけでなく散在する共同売店でも作品を買うことができる。


金城次郎さんは魚紋の器を得意とした人で、赤絵などの繊細で手の込んだ器というよりは素朴で土味の強い普段使いの器が中心だ。







次郎さんの息子、娘、孫、甥に渡って一門の多くの方が魚紋の器を造っているが、それぞれに傾向がことなるように思う。



金城吉彦さんのものは色調はより重く、古びた印象が最初からある。載せられた色も褪せたような彩度の低い色ばかりで、鮮やかな漬物でも乗せたくなる。魚紋も線が細く丸く柔らかい。いかにも民藝らしい民藝の器というのかしらんが。


金城吉彦さんの魚紋三寸小皿。金城次郎さんの長男敏男さんのこれまた長男にあたる。つまり孫だ。



宮城須美子さんは女性らしさの現れなのか、明るく愉しげな意匠。赤や黄、青の点を散りばめたりと華やかで可愛らしい器が多い。購入した重ね焼きのものは撥水剤を蛇の目状に塗って器を重ねて焼けるようにしているので値段がほかよりも安い。しかし部分的に土肌が見えているのか面白いと思った。魚紋や蟹紋も線の太さが均一でどこかイラスト的だ。陶器に興味の無い嫁さんのお気にも召した器。


宮城須美子さんの蟹紋五寸小皿。金城次郎さんの長女にあたる。



金城吉広さんはというと、全体としては落ち着きのある色調だが、魚紋の線が角張っていて太く始まり消えるように細まるので即興で掘り描いたような躍動感を感じる。数ある器の中で、魚紋に色を乗せずに白抜きにしていてまるで緑釉の海の中を泳いでいるかのような浮き上がり方が気に入った。


金城吉広さんの高杯。金城次郎さんの長男敏男さんの三男にあたる。次郎さんの孫だ。



須美子さんと立話をする機会に恵まれた。基本的には3ヶ月に1度、登り窯で焼くのだという。その日に向かって作品を作り溜める日々だそうだ。余力のある工房は注文品や均一に作りたい器をガス窯でも焼いているのだという。


普段使いの雑器という民藝の用の美を大事にしているのだろうか。工房で買い求めた器の値段は驚くほど手頃だった。ハレの日に出してくる器ではなく日常使いに向いた器だ。


京都の五条坂の陶芸市では若手作家が明らかな難有り品をもっと高い値段で売っていたことを思い出すと、やちむんの里の陶工達がこの出来栄えの器を随分と手頃な値段で売っていることには感服する。


例えば金城吉広さんの高杯。小さい器を薄く造るのは難しい。皿よりも高杯のほうが手間も倍以上掛かる。さらに削り、素焼き、線描、釉掛け、本焼きと全行程の手間を考えると私なら延べ3時間はかかる。熟練している陶工なら各工程で沢山造るにしろ合計1時間はかかるのではないか。時給5000円を稼ぎたいとすると、材料費、焼成費、設備の償却費、さらには仕損じ率を含めたらこの器の制作に7500円ぐらいは乗せなければならない。それが2000円で売られている。さすがにどんなに熟練して作業を効率化しても30分で作れるとは思えない。全く同じものを各工程づつ延々と繰り返すような造り方をするとも思えない。



感服するとともに、割の合わなさに心がざわつく。


値段を倍にしても私は買うだろうな。でもそうしない人達なのだろう。こんな素敵なモノが1000円や2000円という破格の値段を付けられてしまっているのが切なくもなるし、いじらしくも感じてくる。