12月24日 緑道の紅葉


葉が緑に見えるのは光合成に不要な波長の光が反射されているからな訳だけれども、そう考えると緑一面の樹々というのは「この波長の光は使えんな」「いやあ、うちも使い道が無くて困ってるんよ。要らないよね」とあらゆる植物が弾き返している波長を人間は眺めて和んでいることになる。植物にとって不要で廃棄されている光をもってして植物の象徴でありシンボルとしているのだからおかしな話だし皮肉かもしれない。


黄色に変色するのは緑のクロロフィルが再生されることなく分解だけされて同時に存在していたカロテノイドの黄色だけが見えるようになるからだそうだ。


一方で紅くなるのは気温が下がると光合成が抑制されるべく葉の中に糖質が蓄積され、さらにそれが紫外線で分解されることでアントシアンが生成される。紅色はそのアントシアンの色だ。


緑に見えるクロロフィルがまだ残存している状態、つまりクロロフィルの緑とアントシアンの紅が混ざり合った状態というのは混色した茶色となる。そう考えると我が家の紅葉が茶褐色であまり美しくならないことにがっかりした後で、そこから紅く発色していった経緯も納得がいく。


しかしまだ緑の葉、黄葉、紅葉が混淆した錦のような椛に茶色の葉は見受けないのは何故なのか。



黄葉のまま落葉したものは今更、紅葉にはならないようだ。糖質が溜まる要件は何なのか。同じ一枚の葉で黄葉、紅葉に分かれる要因は何なのか。いろいろとわからないことは多い。