クリスマス

まだ寝たくないと息子が泣いた。よほど楽しかったらしい。


朝、息子が目覚めると枕元には大きな玩具の箱にクリスマスの毛糸の袋に入ったお菓子。祖母からもお菓子、絵本、玩具の詰め合わせ。そうこうしているうちにパン教室を主宰している友人から手作りのクグロフが届いた。


嫁さんには気分転換に遊びに行ってもらい、次男坊を背中におぶって長男と出掛ける。駅前のホームセンターで「変身バイク」というものを買った。ペダルなしの状態でストライダーのように足漕ぎバイクとして使え、やがてはペダルとチェーンを装着して自転車としても使える優れもの。組み立てに1時間半ほどかかるというので中華料理屋「七面鳥」で昼食を取る。


まだ変身バイク引き取りまで時間が余っていたので盆栽屋兼喫茶店で時間を潰す。ここも息子にあれこれと話しかけてくれる居心地の良い店だ。


ついには変身バイクを受け取り、合わせて買ったヘルメットと手袋を装着して家を目指す。まだぎこちなく漕ぎながらゆっくりと家を目指す。

家に着いたら、新しい玩具に夢中になって遊ぶこと2時間。さらには風呂でも目一杯はしゃぎ、晩御飯もクリスマスケーキ付き。一日中、息子に付き合うと沢山会話をする。ああ、こんなにも会話が成立するようになっていたのだな。


自分らは宗教的教養のない世代だ。仏教神道もその教義のなんたるかを学ぶことはなかった。クリスマスも正確なところの意味をわかってはいない。盆休みに仏教の背景も知らずしてただ盆踊りや祭を楽しんだように私達はクリスマスを楽しんでいる。家族の団欒、父との楽しい思い出。プレゼントを目の当たりにして、自分のことを気にかけてくれている家族外の人達の温かさも実感する。そんなんを記憶に残せる日として使わせてもらっている。


細かい教義は横に退けて友愛を実践するのでも宗教の目的に照らせばそれも構わないのではないのかね。身近な人からの満たされるほどの愛情こそが他人に対して優しさを持てる源になるのではなかろうか。