夢より経済力を優先すべきという判断

若いうちから好きなことをして、満足な収入を得て、家族への責務も果たせられるように身を立てられるのが一番だ。その可能性が多くの人にあることも否定しないし、そう志してリスクの取れる若い人には敬意を表する。私は20代の後半に開業審査を通す当ても付け、辞表を書くところまで至ったが、結局実らなかった。

 
そのまま勤め人を続け、それなりに経済的に自立し、家族も得て中年に差し掛かっている。好きなことで経済的に自立安定できるのは最良なことだ。しかし自分はその両方を得られなかった。その状況を受け止め、そこからその後をどうするか考えるしかない。
 
 
取り敢えず企業勤め人としてはそれなりのことはやったじゃないか、と言えるようになったらスッキリするのかもしれない。
 
それなりの規模の会社でそれなりの責任者の任に着く。
年収を大台に乗せる。
零細企業で数人で担当管理部門を回せるぐらいの一通りの実務を身に付ける。
会社を辞めても遊びに来てくれるような指導後輩を育てられたら幸せ。
住宅ローン、教育費、親の介護費の目処をつける。
子供が小中学生の頃に海外駐在する。
 
チェックザボックス的でそれらが自分の幸せに決定的に重要ではないと再確認するだけで終わるだろう。勤め人としてはそれなりに満足にやり遂げたという充足感は得られるかもしれない。隣の芝生は青くないことを体感し実感することは、その後の迷いを無くす過程とも言える。
 
10年以内に死ぬかもしれないし、やりたいことを我慢することに意味はあるのかと疑問を投げかける人もいるかもしれない。しかし70年生きるという前提で死ぬ迄のこれからの全期間の満足度を最大化するとなると、これからのもう10年ほどは親や家族への責務を果たすことに努めるのが最善に思える。親を感謝とともに看取り、老後に会いに来てくれ死に際に囲んでくれる子供や孫がいること。これらは人生の充足度を大きく左右する気がする。それらを棄ててこの先10年を死に急いで自分のやりたいことだけをやった先の30年が、より充足されるものになるとは思えないのだ。
 
 
世間一般に求められることはそれなりに果たしたし、人生の後半はそれらから解放されて有意義で好きなことに没頭した人生だった。そう死ぬ間際に振り返れたら良い。まだあれもこれも学びたい、実現したい。気力が衰えがちな老年期に内から湧く情動に身を任せて生きられるのは素晴らしいことではないだろうか。隣の芝生を一通り体験し、残りは自分の好きなことに注力する。眼に光のある爺さんになれる気がする。
 
10年から15年の間に準備移行し、15年以降は死ぬ迄の生き甲斐重視体制に移行する。その一方で、家族の病気や怪我か子供の非行か、不慮の危機や思い通りにいかない事態も想定しておく。
 
腑に落ちてきた。