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リアルと評判だった単なるヒーローアクション戦争映画「フューリー」

映画

 

自分の虫の居所が悪かったのか。「アカデミー賞最有力候補」だとか、「圧倒的なリアル」と評判だった本作をようやく観る機会に恵まれたのだが、観終わった後に腹の中に気持ちの悪さが澱んだ。

 
リアルってなんなのさ。脚が吹き飛び頭を撃ち抜かれるシーンを多用することなのか。屍体の写実的な描写をすることか。本物の戦車や軍服を引っ張り出して細部に拘ることなのか。
 
敵兵に侵略され、敗戦間近。街を敵米軍に落とされ、その敵兵に家に踏み込まれた美しいドイツ人女性2人。なぜ残ってるのかもよくわからないし、占領されるかという戦況で随分と綺麗に身なりを整えているのも不明。言葉の通じない米兵の性欲処理の相手を抵抗することなく応じ、その後も笑顔で迎え入れる。「清潔で良い子だ」などと評されているがどんなご都合主義だ。その後の食卓でも「馬ってやつは殺されるとも知らずにタテガミを撫でると安心する」みたいな話が出るがドイツ女性への品のない隠喩なのか。
 
戦闘シーンでも、歩兵が小銃と手榴弾を持って迫ってきているにも関わらず、味方が撃たれたら戦闘そっちのけで会話を始める。総攻撃を受けていたら銃声で話などできるものなのか。絶体絶命の状況で、興奮状態で少しは錯乱状態だろう戦闘中にそんな撃たれた味方を看取るような会話を始めるものなのか。
 
ドイツ兵は米軍戦車内の敵を仕留めるために柄付き手榴弾を二つも投げ入れたのに、なんの損傷もなく、眠っているような死に顔でブラピ演じる隊長が死んでいた。都合が良いな。冒頭に登場した副操縦士のように肉片になるだろうに。
 
300人の大隊のうち大部分の味方を殺されながらも敵戦車と数人の敵兵を仕留め十字路を制圧するために多くの戦友が費やされた。そうして勝ち取った戦闘で戦車の下に逃げた敵兵をドイツ兵はわざと見逃すだろうか。戦友を殺された喪失感や怒りはないのだろうか。いつ降伏するのかという劣勢の戦局で祖国を守るために玉砕しようとしているのはむしろドイツ兵なわけで、随分と分の悪い消耗戦で得た束の間の勝利で敵兵を敢えて逃すのか。
 
戦争の悲惨さや残酷さを訴えるという隠れ蓑の下で、残虐描写の連続で嗜虐的な趣味を発揮し、5人だけで300人の敵兵を倒すというヒーローものの娯楽作にしかしていない。従順な性的対象のドイツ女性と性能が高い戦車を備えながら無能でいいようにやられていく間抜けなドイツ兵。相手への敬意は感じない。
 
人間の残酷さを描きながらも、アメリカ兵を迎え入れるドイツ女性の件と主人公を最後に見逃すドイツ兵が、監督曰くそれでも消えない人間性の象徴的エピソードなのだそうだが、都合が良すぎて気分が悪い。
 
シャイアラブーフ演じるバイブルやブラピの演技は素晴らしいのだが、演出が嘘くさくて、哲学や深いメッセージがあるように見せかけた娯楽アクション。アカデミー賞最有力候補とか言わんといて。最初からアクション娯楽作としてみればそれなりに楽しめたのだろうから。高尚を気取って聖書の一節をあちこちで語らせたり、最後のシーンで十字路の周囲に屍体を積み上げたり、それら演出が自己陶酔的な醜悪さに思えてくる。

 

フューリー(字幕版)

フューリー(字幕版)