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村田沙耶香著「しろいろの街の、その骨の体温の」

映画

 

「コンビニ人間」で芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの2014年の小説。いまだに週に3回ほどコンビニに勤務し、勤務した日だけ、夜2時頃に起きて朝6時まで執筆するらしく、朝井リョウ西加奈子ら小説家仲間からの渾名が「クレイジー沙耶香」だとか。

 
小説家は自らの内をさらけ出して作品を書くという。太宰治あたりはいかにもそうだが、東野圭吾の娯楽推理小説にそれは感じないし、山崎豊子の作品には著者の高潔で強い信念のようなものは感じるが、恥ずかしいほどの自分の内面をさらけ出してぶつけているという類ではない気がする。
 
この作品を読むと、少なからず本人の学生時代の実体験に基づいていることが察せられるし、作中のセリフのような考えをしていたと思われる。思春期のコンプレックスや所在無さや根拠なく自分を普通の子とは違う特別な子なのだと演出することに必死なあの頃。裸を大衆に晒すよりも恥ずかしいかもしれない心の内面をさらけ出し、ぶちまけている。
 
スクールカーストや嫉妬、空気を読むこと、取り繕い、表面的な友情。そういうのを目を背けたくなるほどに晒している。そこがこの作者が評価されているところらしい。しかし読後に全体を俯瞰すると、醜い自分だが誰にも知られていない秘密を持っていて、クラスで一番の人気者の男の子が何故か自分だけを好いてくれる、という話でもある。深く掘り下げた心理描写をまとわせながらも、少女の夢想のような願望というか、夢物語に作者の一番の恥ずかしさが詰まっていると思う。
 
もし娘がいたら、そして思春期に悩んでいる素振りがあれば読んで欲しい小説だ。「イケてる子」の情報をまとい、互いに格付けし合い、「いつまでも親友だよね」なんて言葉で相手が裏切らないか監視し合う。そんな虚構を捨て、自らの言葉で世界に触れ、自らを自覚していく。9割がた陰湿な現実描写に費やされるが、終盤で鮮やかな希望を灯してくれる。親の言葉は聞かなくなるものだから、そんな時に読んで欲しい。
 
ただね、自らを最下層グループより劣るかもしれないという貧相な容姿と評し、数々の性格の悪い仕打ちをしている。それにも関わらずスクールカーストにも鈍い「幸せさん」である、クラスで人気者の男子だけが純粋なままに、主人公の開き直った先の克服した先の自分を見出して好いてくれるというのはやはり少女漫画夢想だ。なにも思春期で鬱屈しているのは女子だけではない。世の中を疑い始め、自分がわからず、無力さにイライラし、形は変えども空気を読み合い格付けし合うのは男子も同じ。異性の容姿や性的魅力にわけもわからず興奮し、それらは満たされることはない。そんな男子がやはり都合良く容姿も性的魅力も性格も振る舞いも悪い女子を好きで居続けるというのは奇跡的過ぎる。ここら辺の展開は自らの言葉で世界に触れ始めた主人公へのご褒美として必要な展開なのだろうか。単に作者の願望なのか。
 
そういえば、スクールカーストの底辺にいる男子の存在と描写が皆無だ。女性の作家が女子目線で書いた世界。
 
成績で評価され、容姿や性格の明るさで評価分けされる。互いに空気を読み合い、格付けし合い、偽りの交友を演じる。これは思春期で終わる話ではない。「駆けっこが速いか」が「仕事ができるか」なんかに置き換わるだけで大人になってもより陰湿化して続くのだろう。自分の言葉で本当の世界に触れているのか。我が身を振り返らせられるテーマだ。