作陶納め。大量の素焼き窯出し。テーマは「予想外の流れに委ねる」

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年末最後となる陶芸。大量に作り貯めていた作品の素焼きが終わった。あなたの作品は怖くて触り難いのでご自身で窯出ししてもらえますか、と言われている。申し訳ない。まだ、窯の中は熱く素焼きも火傷しないがかなり温かい。

 

取り敢えずは素焼きで爆裂や崩壊することもなかったので一安心。本焼きに次いで素焼きの窯出しは不安と期待の入り混じる瞬間だ。

 

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下の層も全て無事。いや、素焼きでダメになるなんて論外であり、当然の話なのだけれども。

 

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計量したら全部で5kgもあった。素焼きはグラムあたり0.8円なので4000円。懐が痛い。板状の大きなやつと、筺を重ねたやつがそれぞれ単体で1kgある。軽量化すれば即、強度劣化に繋がるので仕方がない。本焼成でも6000円は想定しないといけない。1万円か。きついな。柱状多肉を5本、エケベリアを7種は植え込めるので、鉢を5つ、7つ造るよりは安上がりなはずだとズレた自己正当化をしてみる。こんな趣味趣向品に採算効率性を考えても仕方がないのに。

 

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筒を複合させたディスプレーも底板が踊ることなく焼き上がった。

 

 

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筺重ね鉢もこの通り。素焼きで躯体が強度を確保できたので釉薬を掛けても崩れることはないだろう。半時間ぐらいは丁寧にヤスリ掛けして整えたい。釉薬が思い通りの表現にならないで終わるとしても、完成まで辿り着く為の山場は越えた。どのみち、白マットを掛けるだけだから焦らずヤスリ掛けをしたい。

 

明日に本焼きするので、釉掛けしたものは窯に入れられると言われて、皆大焦りで釉薬を掛けるのに大賑わい。

 

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「月白」「白萩」「白マット」「チタンマット」を2本づつに掛け、マンガンを蕾の元にぐるりと塗った。マンガンが下に1cmぐらいは流れてくれれば面白いのだが。各釉薬マンガンの塗り幅による違いを検証できて興味深い。もう少し白釉薬を厚掛けすべきだっただろうか。問題は、どれにどの釉薬を掛けたのか記録を取り忘れたこと。「月白」が青味があり、「白萩」が薄く地肌が透けている。釉薬濃度が低かったかもしれない。「白マット」は「チタンマット」より光沢があるのでわかるだろう。

 

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他の人が使った白マットにそのままドブ漬けしてみたが、ダマがある。よくかき混ぜてないな、これは。普通ならば縁にマンガンを塗って垂らすところだろうが、窪みから下に塗ってみた。なんだか失敗して気がしてきた。窯と焔の対流による自然の造形美作用に期待するしかない。

 

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釉掛けは焦ってするものではないな。終わってみたら、間違った釉薬を掛けていることに気づいた。ストレス解消にやっているのだし、締め切りはないのだし、ダラダラとああしようか、こうしようかと夢想しながら作業してこその趣味の作陶なはずだ。雑な作業をした1日に自省。

 

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折角、裏表を削らずに構わないほどに薄く挽けた鉢にも気づいたら間違ってチタンマットを掛けていた。仕方ない。下半分に溶け流れやすい辰砂を掛け、その上にマンガンを流すか。

 

底の丸い鉢には面相筆でマンガンを間隔を広げながら線を無数に引き、流れ方を楽しもう。

 

もう一つの薄造りの碗も半端にチタンマットを掛けてしまった。斜めに線を削り剥がして高台には「柿渋」を掛けて引締めよう。

 

一連の作陶のテーマは「予想外の流れに委ねる」かね。

 

皆で掃除をした後にラブリコチエのシュークリームや大福の差し入れを先生方から頂き、お茶をした。画家と美術モデルの新生徒2人も加わり、賑やかさの増した教室。先生が22歳にして清朝青磁に感銘を受けて陶芸の道に入ったことや、今の作風は30年に渡ること、食器も作りながら工芸品を作っていること、朝起きてから寝るまで作陶に没頭していることなどお話を聞けたのも貴重な時間。月給1万5千円の見習い時代から、日展に20回以上入選し外務省お買い上げの作品を作るまでの長い陶芸人生。この仕事をしていると「趣味を仕事にできて良いですね」と言われるのは嫌だよね、との愚痴がプロフェッショナルの矜持。来週末の個展では40点ほどを展示されるとのこと。是非行かねば。

 

私達、素人の生徒の造る作品は先入観に捉われないので危なっかしくもあるが、新鮮で面白いとのこと。

 

作陶は、仕事も家庭も子育ても全て恙無いからこそ続けられる。作陶してられるということは満遍なく全方位的に物事がなんとか治まっているサインでもある。来年も作陶できると良いな。仕事も頑張らねば。