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村上隆工場製品

村上隆個人制作作品展だと思っていた。勝手な先入観で村上隆が全ての作品を手掛け、完成させていると思っていた。


しかし実際は村上隆工房、村上隆プロダクション、村上隆ギルドによる作品群で村上隆による監修総監督というわけだ。


考えてみれば、西洋のギルドにしろ、運慶などの木像工房にしろ、珍しいことではない。襖絵で有名な御抱え絵師の狩野元信も狩野派の絵師達の筆致を顧客ニーズに対応できる最低限の行、真、草の三様式に統合標準化して大量生産できる体制を組んだ。よって狩野元信の落款がありながらも狩野元信自身が一切手を加えていない作品もあった。落款はブランドロゴだった。現代でも売れっ子の漫画家もアシスタントを大勢抱え、作業を割り振って作業効率を高めて作品を量産する。無論、誰が見ても誰の作風か明快で作風が損なわれることはない。



五百羅漢の為の村上隆制作プロダクションでは200人近くもの大勢の美大生を動員し、作業を割振り、工程を組み、要所での検査や修正を入れて作り上げる。指導的なサブリーダーも複数必要だろうし、大勢のスタッフを時には慰労し鼓舞することも必要だろう。何より、自分の頭の中に描いている願望というかビジョンで皆を魅せなければならない。



そんな組織的な制作工程の裏側もわかる資料が展示されており、面白い。「ちゃんとやれ、ボケ」などと書かれた修正指示まである。「顔部のベタ版をつくれ」だとか完全に命令口調なんだな。自分なら嫌な上司のタイプかもしれない。これは単に作品を見に来た客には興醒めにもなる。なんだ、ここも、そこも下っ端にやらせてるのかよ、と。実際には合わなくて、ついていけなくて、理解できなくて、魅力を感じなくて、あるいは村上隆に従うことを拒否して離れていった美大生もいたそうだ。



しかし美術関係者、とりわけ未来の作家に対して、こうやって工房を組織し、自分の作風を商業化し、作品を短期に大量生産することで自らの表現機会を拡大していくのだと挑戦的に指し示しているかのようにも思えた。ここまでする根性や覚悟はあるのか、全て自ら作業せねば気が済まず一人の工房で生み出せる作品の数だけで満足できるのか、それとも規模と効率をある程度追求し、自らの表現機会を拡大していくのか、と。



作品を見ていて、なんだかここの一画だけ、あるいはこの羅漢だけ明らかに重力というか密度が違うと友人と意見が一致した箇所がいくつかあった。誰かの作風の配下で大勢で制作する中でも自分の個性や爪痕を残そうとした人がいるのではないか、そう考えると愉しい。