五美術大学卒展

素人目線の批評や感想など当人は聞きたくもないだろうけれども。

愉しかった。絵画から彫刻からインスタレーションまで多ジャンルの作品が一堂に帰しているので飽きない。1大学だけだと作品の質量ともに物足らなかったに違いない。正直に言うと、作品の技能的水準は素人目に見ても千差万別、玉石混合。コンセプト性の高い作品も京都の銅駝高校の卒展で見たようなものや、ああ会田誠風か、ああ山口晃風か、ああ池田学風か。そういうものが多かった。それでも観てて愉しいけれども。





美大生のブログなんかを以前、読み漁ったことがある。「表現したいものがあっても技能がついていかず、ゴミのような作品しか出来上がらなくて次第に創作意欲を失っていく」「芸大には自信満々で入学してきて、入学当初から抜きんでた人、目立った人というのがいる。残酷にもその位置づけは卒業まで殆ど変わることがない。在学中に化けた人は殆どいない。」


私も趣味で陶芸なんかをかじっていると、頭の中で思い描いた表現したいものが技能がついていかずに十中八九、出来損ないに仕上がる。先生の作品やプロの作品を見ると自分のものと比べて失望する。しかし私にはあくまで本業は別にあり趣味でやっているだけだという強固な自己正当化の根拠がある。しかし自分の主戦場として美術・芸術を選んでしまったならばその葛藤や焦燥感は深く暗くなるのではなかろうか。


卒展を見ていると、自信を失って迷走して創作意欲が不在なまま、とりあえず形として卒展に出すには至っただけのような作品がちらほらある。残念ながら東京藝大よりも私立芸大のほうが比率が高くなっていく。


完全な美術好き素人の自分からしたら、芸大に入って美術を専攻する人たちは憧れであってスーパースターだ。そうあって欲しいと思っている。評価されようとされまいと作りたいから作っているという創作意欲の塊のような人たちであって欲しいという勝手な期待もある。デザイン専攻だと商業需要は多いから不動産屋の内装デザインとか就職はしやすいなどという話は聞きたくない。それらにすら就こうとして就けずに飲食店勤務で食いつなぐ人の話はもっと聞きたくない。憧れのままでいてほしい。元野球少年が清原の覚醒剤使用所持による逮捕を見たくないように。不本意な仕事に就いた人も創作意欲を溜め込みながら作品を作り続け、そのうち爆発させてくれるのではないかという期待がある。


この瞬間のこの光景を素晴らしいと感じてそれを再現したかったのだろうな。そんな感動の再現に徹底したような作品がいくつかあって心動かされた。伊藤明日香さんという方の日本画は静かさと緊迫感と鋭さとが感じられ、手に入るものなら買って日々眺めて愛でたい作品。専門的な技能や構図の良し悪しは自分にはわからないけれども見た瞬間に他の作品が意識から消えるような存在感のある作品だった。




食品サンプルのチワワはその含意を作者に聞きたくなる愉しい作品だった。巨大文鳥と捻じれた鳩は並べて展示してほしい。背景の避難灯が邪魔で憎らしい。




頭がぬいぐるみのような柔らかそうな質感の獅子舞の木彫。



撮らせてもらった写真はどれも、個展があれば見に行きたい。やはり、スーパースターなのだよな。