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自分はなれなかった「かわいい後輩、部下」というもの

思索

もともと、自分には企業や大きな組織で求められるような社交性に欠ける気がしていた。趣味趣向の合う遊び仲間としかつるまず、輪を広げることがあまりできてこなかった。

 
ゴルフもカラオケも興味がないし、パチンコやなんかも興味がない。同僚のように自由になる金もない。盆栽や多肉植物や陶芸に興味のある人にはなかなか出会わない。
 
年次を重ねると、上の世代も減ってきて上司や先輩らの同調圧力で飲みに行く必要も少なくなってくる。断る自由勝手が許されてくる。そんなわけで職場の付き合いは少なくなっていった。職場の友人付き合いはあまりなくなった。
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ところが、今となっては接点もなくなった前職の部下が婚約したので彼女を連れて家に挨拶に伺わせて下さいだとか、別の前職の部下だった外国人女性が結婚式に来て下さいだとか、入社2年間面倒見させてもらった元部下がこれまた結婚式に来てくださいだとか、関西に残っている別会社に転職した後輩が年末に東京に来るので食事に行きましょうとか、部下の新卒女性が新卒3人とおっさんで飲み会しましょうとか、お誘いが偶然にも増えている。特に前職の後輩や部下なんて私を誘う仕事上の義理はもうなくなっている。
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私にも苦手な上司もいたが、好きな上司もいた。しかし上司を飲みに誘うという発想はなかった。結婚式にも呼んでいない。会社の上司を仕事外の時間に自分の私生活に招き入れるなんて思ったこともなかった。
 
しかし誘ってもらえるとこんな自分でも、あるいはこんな自分だからこそか、自分でも予想外に嬉しいことに気付いた。
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偉そうに仕事上で従わせている上司ではなく、少しは若い人に貢献している、あるいは貢献できる先輩として扱われたように思えてくる。この喜びは無意識な承認欲求が満たされたことから来るのだろうか。
 
今から思うと、「⚪︎⚪︎さん(上司)、結婚式で主賓の挨拶して下さい」とか「⚪︎⚪︎さん、今度飲みに連れて行って下さい」なんて言える部下だったら、上司からみたらもっと可愛かったのだろう。何かはわからないが今現在が変わってたかもしれない。
 
それにしても幸せには「やりたいことをやる」だけでなく「人から必要とされる」ということも大きな要因なんだな。
 
定年退職した後も会う関係というやつが、もう一つのわかりやすい価値のある親交なのではないかと思う。そういう相手が一人でもいいから得られると嬉しい。