白雪の日光東照宮の綺麗寂

 

 

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昔、ブルーノ・タウトという有名なドイツの建築家がいた。彼は桂離宮の侘び寂びの抑制された美に「ここに繰りひろげられている美は理解を絶する美、 即ち偉大な芸術のもつ美である、 すぐれた芸術作品に接するとき、 涙はおのずから眼に溢れる。」と最大限の賛辞を贈った。

 

 

その一方で日光東照宮に対しては「すべてが威圧的で少しも親しみがない」「華麗だが退屈だ」「珍奇な骨董品の感じ」「建築の堕落だ。しかもその極致である」とこき下ろした。

 

そんな東照宮が実際にはどんなものなのか、長らく自分の目で見てみたいと思っていた。

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ブルーノ・タウトは自国の文化からしたら斬新な侘び寂びの美に衝撃を受けたばっかりに目が曇っていたのじゃないのかね。西洋の宮殿や教会の過剰な美からしたら東照宮は驚きは少ないのかもしれないが、侘び寂びをも愛する人達の文化と感性が生み出した過剰の美は理解できなかったのかね。

 

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素人の眼で見ても素晴らしい。塗り直してピカピカにしてしまったら台無しな豪華な侘び寂び。朱が禿げて地の金が掠れ出てきている。そんな朱と金が緑青と木の複雑に混ざり合った跳ね上げの蔀戸を背景に浮かび上がる。織部の綺麗寂びとも違うのかもしれない。


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この雰囲気と空気感に退屈するのは興味の欠如か感性の欠如であっても「建築の堕落」が理由ではないだろうよ。

 

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最も標高の高い場所に石段を繰り返し登って行った先に徳川家康公の神体の納められた宝塔がある。それにしても長く続いた戦乱の世に終止符を打って260年の太平の世を築いた偉業は過小評価されてやいないだろうか。数カ国、数百人の利害関係の調整にすらうんざりして絶望するのに、地理的に目の届かない日本全国のお山の大将に統制をかけて戦を無くしていくその困難たるや。

 

辛抱と忍耐と策略と。信長ほども武田信玄ほども伊達政宗ほども豊臣秀吉ほども愛されていないのは華が無いからか、潔く滅びた悲哀もないからか。戦を長いこと無くした徳川家康の偉業は歴史上の英雄の誰よりも大きいと思うのだが。

 

徳川家康は「日本人に嫌われる性格」の典型だ

「スゴい成功者」なのに…理由は4つあります」

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こちらは徳川家光公の霊廟。

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この緑青と朱の彩度の落ちた色合い、とても好きだ。

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陽明門の白を基調にした色彩は素晴らしい。そこに白木が黒くなりモノクロなコントラストとなっている。銅屋根にさらに雪が積もって全体として白が増してなんとも清涼な気配が漂っていた。

 

白ベースに黒と金の彫物がついた茶碗を作ろう。

 

 

 

 

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修復された陽明門の天井にはコントラストのピリッと効いた龍が門をくぐる人を睨みつけていた。