高円寺の夜の雑踏と店ぶれを記録に残す-ガード、西商店会下

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「光陰矢の如し」的な写真が撮れた。

昔々の子供の頃の記憶は、アルバムに閉じられた写真で繰り返し補強された記憶だったりする。

 

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この瞬間に当たり前のようにある街並みが明日、来月、来年にはなくなっていたりする。「高円寺は店の入れ替わりも早いよね」と言いながら目の前の店が来年にはないかもしれないことを想像できない。

 

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あの店が無くなった、あの建物が壊された。それらの点と点とも言える変化が1年という単位で連なると、街並みが変わってしまっていたりする。そしてその光景に慣れると変わる前の景色が既に思い出せなくなっている。

 

どうでも良い、代わり映えのしない、日常の高円寺を写真に撮ろう。急に思い立って夜の撮影徘徊、兼、犬の散歩を始めた。

 

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示し合わせたようにこちらは煮込み、あちらは炭火焼、と赤提灯が並んで複数の店が一つの似た光景を作っている。高円寺らしさを感じる印象的な一景。

 

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ビールケースや簡素な丸イスのテラス席は雰囲気で味が2割り増しになる気がする。

 

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綺麗な身なりをした女性同士の客なんかもいたりして意外に思う。1人でラーメン屋に入らない女性でもこういう店は可なのか不可なのか。

 

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実は屋根があって、風が無ければ雨でもなれないガード下。

 

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日本のインドと称賛あるいは侮蔑される高円寺。その一因はカレー屋の多さにあるらしい。インド富士子のネーミングセンスは絶妙。どこから湧いてきた発想か。まだ行けていない気になる一店。ドア全開ということは空調は無く、インド気分で汗ダクダクになりながら辛さを楽しめ、ということか。

 

 

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お洒落な小料理屋の小粋な暖簾。この暖簾を左手で掻き分け、店から出る瞬間の自分の写真を撮りたい。醜男がならんでいるぞ、と。夜のお店上がりの綺麗なおば様がパトロンの支援金で出した念願の店、などと勝手に想像してみる。

 

 

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だよね。

 

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なかなか退廃的な雰囲気を纏ったバー。客がいないと入りづらいし、客がいても常連ばかり居そうで入りにくい。どうしたらいいのか。私のような客層を店構えで避けているのだろう。除虫菊のように。

 

 

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知る人ぞ知る、ナンバーワンにしてオンリーワンの店。海面表層を漂うニワカサブカル好きが楽しむには深すぎる深海魚向けの店。いや、例えるならば深海魚ですらなくダイオウグソクムシとか硫化鉄の鎧を纏うスケーリーフットとか、そういう異生物が客層。無力無善寺は高円寺の深海の熱水噴出孔のようなもの。テレビで取り上げられたが即、放送事故扱いされた。

 

 

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ガード下の雨天時にも嬉しい四文屋。ここは四文屋の中でも最も客足の途切れない店ではないか。

 

 

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メジャーデビュー済みか、と思えるような人も、素人っぽいけれども熱と圧の溢れた歌い手も。酔っ払った足取りで、ふと立ち止まって聴き入る。そういう人が多い。