7回忌 各人生ステージの面々

7月7日7回忌

 

子供の頃からとても可愛がってくれた伯父だった。祖父母の家で夏休みに集合すると、従兄弟が同年代だったのでよくまとめて遊んでくれた。

 

都会育ちの父と違い、田舎育ちの伯父は竹を削り出して弓を作ることができたり、何か別種の逞しさを持っていて憧れる存在でもあった。

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7周忌ともなると亡くした悲しみは薄れ、法事の場でも話題にあげるか、あるいは心の内で静かに懐かしむ。

 

ふと見渡すと、自分が辿っていく道を先に歩んでいる人達がいる。

 

親はもう重い何かを運ぶことが危ぶまれる存在となり、語り部としての役目に回る。見ず知らずの他人ならば老婆、老人なのだよな。どこかでまだ自分もそこまで老いてないし、親も元気だと思っているが、頭のどこかでこれは頼めないな、あれはこちらでやった方が良さそうだな、と気を回すようになっていることに気付く。

 

姉弟の旦那さんがもう還暦を迎えたという。白髪混じりがもう黒髪混じりになっていた。恰幅良く腹が出ていた壮年の多くにありがちなように、ある時期を境に健康の為に痩せた途端、一気に萎んで皺々の爺様が姿を現し始める。

 

 

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子供達だった私たちは中年となり、まだ若い頃の気配を残しながらも、相応な経年の徴候が出始める。まだ、危機感なく腹を出して肥えることも厭わない年齢かもしれない。

 

私がオムツを替えた従兄弟の子供が酒を飲み、終えたばかりの就職活動やら内定先企業やら、卒論の話をしている。

 

瑞々しく落ち着きのない子供達。年に一度か二度しか会わない。名前すらお互い覚えていないのに、半時間もしたら幼馴染かのように意気投合して遊ぶ。親同士の距離感を感じ取って、親戚の子同士だとより警戒心なく遊ぶことができるのだろうか。

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あの人はどうしてる、この人の倅は何してる、そんな話が法事の食事の場では行き交う。

 

老いてなお幸せかどうかは仕事や経済的成功の度合いよりも、親子兄弟姉妹の仲の良さのように感じる。

 

不摂生で病に倒れるのは避けたい。

子供をきちんと育て上げたら、あとは好きなことをして生きたもの勝ちなのではないか。

元気な頃にいくら羽振りが良くても、悪さして我を通して離婚して一人になった老後は実に侘しい。

強いるわけでもなく、年に数度帰省したり旅行に行ったり。3世代にまたがって繋がれる団欒がなんだか私にとっての温かい幸せの形なのかもな。

 

自分の幸せの形にそぐわない「世間一般的に良いとされていること」はもっと切り捨てていっても良いのかもしれない。

 

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座敷の格子天井には板絵が並ぶ。トイレの天井に自作の日本画板絵を嵌めたいのだよな。