山谷ドヤ街の今

 

f:id:mangokyoto:20181220073644j:plain

東京の東北方向、南千住駅からスカイツリー方向に少しばかり歩くと山谷と呼ばれた一画がある。

 

戦後に復員したものの家族も家もなく駅や地下道で雨を凌いでいた人達を米軍払い下げのテントに収容した今で言う災害テント村が山谷形成の背景だそうだ。そこに寝泊まりする人達を労働力のアテにして手配師が集まり、仕事を求めてさらに人も集まり。。。名前でしか知らなかった山谷に平日の夜、訳あって泊まりに来た。

f:id:mangokyoto:20181220072721j:plain

日雇い労働者の街が形成され、今でも130件近くの安宿が高密度に集まっている。

 

病に倒れた者、怪我をした者は保険もなく治療も受けられず、収入も途絶え、無念のままに亡くなる。そんな暗い記憶が染み込んだ街でもあるらしい。綺麗な大都市として知られる東京も昔から今のようだったわけではなく、人知れず街の復興や経済発展の礎となって消えていった人達がいるわけだ。

 

f:id:mangokyoto:20181219185446j:plain

2018年の今でも一泊素泊まり3畳間で1700円、4.5畳で1900円。ここはとりわけ安い。周辺の相場は2200円でこれは生活保護の1日の支払い上限額が基準となっている。

 

とても切り詰めれば1日500円の食費でも暮らせる。栄養バランスを無視すればご飯と卵と根菜類で200円に抑えることもできる。しかし保証人もないその日暮らしの宿泊費の最低価格は1700円。生きていく上で温かく、雨露をしのげる住まいが最も高価だということか。

f:id:mangokyoto:20181220072736j:plain

 見渡す限り、だいたいは2200円で木造だけでなく鉄筋コンクリート作りの安宿も多い。1人部屋が鉄筋コンクリートの壁で仕切られている、なおかつ部屋数がそれなりに多い宿というのは案外、珍しいのではないだろうか。隣の生活音を気にせずに寝られるのは嬉しい。

 

f:id:mangokyoto:20181219210708j:plain

現在の山谷は生活保護者や日雇い労働者向けが9割、観光客向けが1割。日雇い労働者向けは長期滞在を専門にしていて1泊だけの客を止めている宿は少なく、外国人を受け入れている宿はさらに少ない。

 

生活保護者向けの宿の前でうろうろしていると、爺様があちらの宿に聞いたら泊めてくれるぞ、と親切に声を掛けてくださった。いくつか空室があって泊まっても良いと言ってくださった宿はあったが少しばかり冷やかしのような後ろめたさを感じて観光客向けの宿に移った。 

f:id:mangokyoto:20181219191307j:plain

 こちらはカンガルーホテルというゲストハウスの別館。まだ築4年も経っていない新しいゲストハウスだ。1人部屋1室3500円。コインランドリーも風呂もシャワーもある。

f:id:mangokyoto:20181219191247j:plain

 

f:id:mangokyoto:20181219190937j:plain

 全体的にモノトーンでとてもシンプルなデザイン。

f:id:mangokyoto:20181219191008j:plain

 部屋は洋風ベッドに液晶テレビ、エアコン。床はなんとか小ぶりなスーツケースならば開けそうなスペースがある。寝具は清潔で、何よりも壁が厚く隣の部屋のテレビの音も廊下では聞こえるが、室内に入るともう聞こえない。

f:id:mangokyoto:20181219185631j:plain

 日韓ワールドカップの頃、「ヤマ王」と呼ばれた山谷の実力者であった帰山氏の孫がバックパッカーをしてたとかで、ドヤ街の宿を外国人観光客向けに転換したのがドヤ街の観光客路線の始まりだそうだ。現在、感覚的には10〜15件の宿が外国人観光客向けに営業している。

f:id:mangokyoto:20181219210510j:plain

 築浅のお洒落な外国人観光客向けの宿もあれば、生活保護者向けの木賃宿もある。それらが同地域に入り乱れているのが不思議な街並みを作り出している。この東洋館もリフォームしたら風格のある姿に蘇りそうだ。

f:id:mangokyoto:20181219183747j:plain

救急車が駆けつけてきた。寒さも厳しくなると体調を崩す高齢者の方もいるのだろう。

f:id:mangokyoto:20181219210021j:plain

 酒に酔って口論になっている人もいる。

f:id:mangokyoto:20181220073544j:plain

外国人観光客が今後も増えていくと思う。山谷の安宿に住む生活者も高齢化で毎年減り続けている。もっと観光客向けに転換しても良いのかもしれないが、生活者の最期のセーフティーネットとして彼らを見守ってくれる砦でもある。外国人観光客相手にしたほうが儲かろうとも、この宿を閉めたらあの人達はどうなるのか。宿の主人はそれぞれの価値観や信念をもって経営されており、一様ではない。

 

私が受付から話を聞いている間に、そこの住人と思しき男性が帰ってきた。受付のおばちゃんが「体調は良くなった?今日はどうだったの?」と気遣っていた。温かい。頭が下がる思いだ。

 

外国人観光客も一般のドヤ街の安宿に泊まれないわけではないらしい。だがやめておけ、オススメしない、と助言された。けして「おもてなし」はうけられないし、万が一、夜遅くに騒いで日雇いの人を怒らせたら嫌な思いしかしないだろうと。そりゃそうだ。

f:id:mangokyoto:20181220073625j:plain

朝、起きて宿から三ノ輪まで歩く。途中に等身大の人形が立っていた。変な髪型だ。気の良さそうな兄ちゃんは誰なのだろう。

 

f:id:mangokyoto:20181220073611j:plain

正面に回ると私でもわかった。矢吹さんとこのジョー、真正面から見ると別人だな。そういえば、私は未だかつて「明日のジョー」を読んだことがない。

 

山谷は美空ひばりの出身地でもあり、美空ひばりの両親は山谷で石炭商をしていたらしい。 

f:id:mangokyoto:20181220074319j:plain

さらに歩いていくと、吉原公園に出くわした。あの、吉原はここにあったのか。公園自体は見晴らしも良く、開けている。人影はなかった。

 

f:id:mangokyoto:20181222005452j:plain

 かつては廓街の大門があった場所もマンションが建ち面影はない。

f:id:mangokyoto:20181222005536j:plain

 お歯黒ドブの石垣。ほぼ正方形の吉原遊廓から遊女が逃げ出さないように「お歯黒どぶ」と呼ばれた掘りが周囲をめぐらしており、その名残の石垣だそうだ。説明板も何もなく、誰かが教えてくれないと素通りしてしまいそうになる。

f:id:mangokyoto:20181220074241j:plain

現代にあっても遊郭のような角えび本舗。ボクシングジムと宝石とソープ、何が本業なのか、何が一番儲かっているのだろうか。

f:id:mangokyoto:20181220074227j:plain

入浴料が高い。これがソープというやつか。入場料でもサービス料でもなく入浴料というらしい。考えようによっては普通の整体マッサージも10分1000円なんてところも多いから、この入浴料が高いともいえない。現代の合法遊郭であって、強制されていないのだから、自分でこの仕事を選んでやっているのだろう、と言われるのもある意味、はるかに酷だ。

f:id:mangokyoto:20181220074208j:plain

 モダンアート。看板の枚数だけコンパニオンを募集しているというわけではないだろうね。どの業界も人不足なのか、看板が新しい。

f:id:mangokyoto:20181222005333j:plain

夜になると、また雰囲気は変わるのだろう。VIOLENCE SOAPという副題のついた店があってなんだか可笑しくなってしまった。VIOLENCEとSOAPという単語はなかなか組み合わせて使われることはないはず。

 

 

珍しく、東京という街が奥深いと思った。 表参道や代官山、あるいはミッドタウンのようなキラキラとした街はどこも似たり寄ったりに思える。小津安二郎の映画や、「吉原炎上」なんて東映映画を観て東京の昔を想像してみるのも興味深いかもしれない。東京も混沌として猥雑で必ずしも清潔な街ではなく、そういう点ではムンバイとも中国の2級、3級都市と変わらない。今は昔からキレイな街でございました、と言いたげな澄まし顔だけれども。