私達は親が同年代の頃と写真記録から細部まで比較できる最初の世代かもしれない

実家の書庫から昔の写真アルバムを引っ張り出してきた。そこには子供達と同じ年齢の私の写真があり、私と同じ年齢だった親の写真がある。


あの頃の父は何に情熱を傾けていたのだろう。母がいまだに繰り返す若い頃の父への愚痴はこの頃の話だろうか。

懐かしく温かい気持ちになるというよりは、寂寥感に襲われた。

私達は親が自分と同じぐらいの年頃の写真記録が豊富に残っている初めての世代と言えるのではないか。私の両親は、私の祖父母が30代や40代の頃の写真を殆ど見たことがない。せいぜい、親族が澄ました顔で一堂に会して撮られた記念写真や写真館で撮られた家族写真程度だ。残された写真の数も少ない。
散らかった家の中での何気ない一景や、運動会の写真、海水浴場での写真、子供達が寝ている写真。日常を窺える写真は見たことがない。しかし私は両親のおかげもあって30年前の日常写真をあれこれ見ることができる。

これは改めて考えるとすごいことなのかもしれない。昔は親戚の集まりで、年寄りから「あんたの父ちゃんはあんたの歳の頃にはああだった、こうだった」と聞くことはあっても、どれだけ記憶に補正や誇張が入っているかはわからない。面白おかしく盛る傾向もある。それも日常写真を見れば両親が同年代だった頃の風貌や生活水準など、あれこれがありのままに見えてくる。

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そう、私達は一世代前とこれまで以上に比較が可能になった世代なのかもしれない。
同じ歳で比べると親父の方が腹が出てるな、とか若々しいな、とか、視覚的な比較も面白い。


私達は総体としては親よりも裕福になれない世代とも言われる。親が自分の歳の頃にはすでに子供は何人いて、こんな家を買って、仕事は何をして、こんな生活をしていたと30年をまたいで比較ができてしまう。改めて親への尊敬の念を深くする人もいれば、えらそうに言ってるくせに親父も大したことなかったのではないかと思う人もいるかもしれない。


  • 親になって仕事と子育ての両立の大変さを知り、あちこち旅行に連れて行ってくれた親への感謝の念を強くする。
  • 鬼籍に入った親族の多さに気づく。あの伯母はその後どうなった、あの叔父はどうなったとその後が私にはわかっている。自分の身に起きていくことを知らない無垢な笑顔。
  • 群がるような従兄弟の数。私の子供には従兄弟がいないことにも気付いた。危機感を覚えるほど新しく産まれる子供達は減っている。
  • 旅先の澄ました集合記念撮影はつまらない。旅先で何かをしている写真は面白い。
  • 全身を写した状況説明写真ばかりで表情が鮮明にわかる顔のアップが少ない。



私が家族の写真記録を残す上で欠けがちだと思う要素

  • どんなものが市井で流行しているか。
  • その頃の子供達がどんな遊びに夢中になっているか。
  • 親が何をしているか。何に楽しみを見出しているか。
  • どんなものを食べているか。
  • お気に入りの玩具や家電、家具。
  • 旅先の写真よりも日常の室内での写真。
  • 街並みの写真。

残すべくは特別な日ではなく平凡な日常の写真なのだ。

とある平凡な週末の朝から晩までを写真に撮るのも面白いかもしれない。子供達の寝床の写真から始まり、顔を洗う姿、朝食を用意する姿、宿題をやる姿、犬を散歩に連れて行く姿、近所のスーパーに買い物に行く姿、庭で水遊びをする姿、母親に怒られている姿、兄弟喧嘩している姿。飾ることのない家族ルポ。