子の成長を見て我が身を省みる

この夏は10回以上、次男をプールに連れて行ってクロールの特訓をした。その甲斐もあってか、晴れて進級テストに合格した。本人もかなりの意気込みがあったようで相当、嬉しそうだった。翌日はグズり気味だったのも、彼なりにプレッシャーから解放された反動なのかもしれない。

私は10歳になるまでまともに泳げなかった。4,5歳で泳げるようになっているのだから感心する。いろんな可能性に溢れているし、何かをきっかけに花開くのだろうな。親としては可能性を開かせる機会を十分に与えられるようでありたい。

これからはもう少し少ない人数で長い距離を泳ぐようになるのでさらに体力も泳力も上達していくに違いない。


プールが嫌いなわけではないし行きたがらなかったことはない。しかし毎回、終わった後にモスシェイクをあげる約束をしていたし、あと3回泳いだら終わりにしてシェイクを飲みに行こうと言ったこともある。子供にご褒美で動機付けするのは良くないとよく言われるが、そこは正直、今日はプールに行きたくないと言われる面倒を避けた自覚はある。 

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長男は全くもって運動が得意な方ではないけれども、小学校入学までに四泳法を習得した。バタフライなんぞ、私は未だに泳げない。コツコツと努力を積み重ねて何かを達成することに大きな自信を得てくれたのが側から見てもわかる。それが一番、親としてありがたい子供の学びだと思う。

この日、夏の親子体験教室で習った琴で、譜面を見ずに「さくら」を弾いてくれた。ろくに練習もしないし、琴はさほど興味がなかったのだと思っていたけれども、思わぬ成長を見た。

長男は学年の中でダントツで足が遅い。それでも、逃げるでもなく、練習すれば1年後には速くなると自分を信じられている。なんだかその真っ直ぐさが眩しい。

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親として偉そうに、あれしろ、これしろと子供達に指図し、これはこうやるんだよとあれこれ教えるとまだ尊敬の目で見上げてくれる。しかし親としては子供ほどに懸命に取り組んで成長できている気がしない。まだ子供は幼く、見透かされていないようだが、あまり、誇れる親ではないなと思う。中学生になる頃には偉そうに言われるほどでもない親の凡人さに気づくだろう。

 

正直、4〜5年サイクルで襲ってくる仕事での学びの低減に対する倦みと失望に苛まれている最中だ。どうやらここ数年以内の海外赴任の可能性も消えたらしい。腐らずに、辛抱強く、この状況を脱却しなければと思う。

 

親父は親父なりに何歳になってもあれこれ挑戦したのだという失敗と成長の軌跡を子供達に残せたら良いな、と思う。