烏丸半島の蓮の群生

身近にあるものには目を向けず十和田湖に行きたい、礼文島に行きたいと遠くばかりが魅力的に思えて我ながらしょうもない。身近な良いものを楽しまねばもったいない。そう思い立って滋賀県草津駅から始発バスに乗り換えて琵琶湖畔の烏丸半島へ行ってきた。



圧巻だった。



遥か遠方まで蓮が咲き乱れる。両手で抱えるほどに大きく見事な華だから遠くにあっても目を引く。7月末から8月にかけてが最盛期らしく、しかも午後には華が開ききってしまうので早朝のうちが良い。そんな蓮だから朝に強いご老人方が蓮の群生と同じぐらいの写真愛好家の群生を作っていた。頑丈な三脚にロケットランチャーのような望遠レンズを乗せて撮っている。「良い機材があれば良い写真を撮れるわけではない。ああ、でもあんな望遠レンズがあったらなあ」と立派な機材を羨みながらのんびりと撮影に興じた。


水生植物公園水の森では象鼻杯の催しがあった。蓮を茎の途中から切り落とし、葉の中央に空けた穴から注いで茎を伝わる日本酒を飲む。所謂「蓮酒」というやつだ。茎を通る間に蓮の香りがつくだけでなく、蓮の滋養成分が溶け込むので健康長寿に効があり暑気払いの行事となっているそうだ。茎は蓮根そのままで切断面を見ると大小の空洞が通っている。葉の中央をナイフでえぐると簡単に飲めるようになる。白いテントの下で行列を作り順番に飲んでいくのでゆっくり味わう余裕などない。注いだ酒をそのままで飲むことはできなかったので茎を通すことでどれだけ風味が変わったのかはわからず。




来年は自分の庭に大きな水甕を置いて蓮を育ててみたい。葉を手折ってのんびりとチビチビと好きな日本酒の銘柄の象鼻杯を楽しみたい。そんなわけで種を10個ほど160円で買ってきた。播き時は5,6月だそうだ。


ここではオオオニバスも見ることができる。子供ぐらいなら乗れるというのだから驚きだ。葉裏は立体的な網目構造になっており、水生でありながら水面上で独占的に日光を浴びようという貪欲さが感じられる。



泥水から立ち上がった茎の先に広がる華。これだけ重量感のある豪壮な華でありながら大雑把な印象は無い。むしろその気品のあること。


仏教思想を象徴する華として高い地位を得ているが桜ほどに日常生活を通じて馴染みがないのは住宅街付近の湖沼がことごとく干拓されてしまったからかもしれない。改めて思うが蓮は素晴らしい。2000年昔の種子を発芽させた大賀蓮中尊寺金色堂須弥壇から発見され800年を経て発芽した中尊寺蓮などその生命力にも何か特別なものを感じる。日本古来の種だけに勿体無い。もっと身近になってほしいものだ。


淡く柔らかな薄紅色。



花弁の縁や脈の紅は濃く、それ以外は白い。近くで見るとその繊細な模様が美しい。



太陽を花弁越しに見上げたり、薄暗いところから花弁を見ると、ぼんやりと紅い光を発しているかのようで幻想的。幾千と仏画のモチーフとして描かれており、今まで数多くの美しい蓮の絵を見てきたように思うが、本物を目の前にすると絵の限界は本物の遥か手前にある気がした。



蜂の巣のような穴の並ぶ花托も咲いている間は妖艶。特に白い雄蕊が海洋生物の触手のような艶かしさがある。



それも一旦花弁が落ちてしまうと何か愛嬌が出てくる。



鑑賞して良し、食べて良し、呑んで良し。こんな有難い華があるとはな。別格な存在に思う。蓮は7月の誕生花でもあるらしい



黒揚羽蝶

カメラを近づけても堂々と動かなかった。真横から見ると、体躯と足は随分と前方についていてなんだかバランスが悪いように見える。かなり後肢でふんばっているのか。よほど羽が軽いのか。


果たして蝶は一般的に思われているような可憐で乙女な存在だろうか。頭部周辺だけを見れば蚊とそんなに構造は違わない。色が奇麗だからだというが、奇麗な色の蟲などいくらでもいる。一部の蠅は緑色の金属光沢がして美しい。たくさんの蝶が自分の周りを飛び回る状況を思い描いてみてほしい。一見、華やかかもしれない。しかしその蝶の頭の構造が蚊にそっくりなのも思い出して欲しい。手で振り払いたくなりやしないか。


蟲より蜥蜴など爬虫類や両生類のほうがよくよく見るとかわいいと思うのだがな。奇怪な複眼をした蟲よりも爬虫類や両生類の目のほうが奇麗だ。蟲の中ならハナムグリなんて丸っこくて愛嬌があるし、緑黄金色に輝く様は蝶を超える。「カワイさ」「キレイさ」を判断する際に一般的に細部の造形は見ないものなのか。遠目になんとなく奇麗なら細部がグロテスクでもお構いなしか。いや、思うに小さいころに蝶を見るたびに母親が「あらチョウチョねえ。キレイ」などと言うのを聞いたり絵本でキレイにデフォルメされた蝶を見て「蝶はキレイ」と盲目的に刷り込まれているのかもしれない。


発言が面白いからではなく、「これは笑って盛り上げるところだ」と機を窺って盛り上げる雛壇芸人のように。ここ笑うとこですよ、今、面白い発言しましたよとお仕着せがましい最近のテレビ。


蝶はキレイ、芋虫はキモチワルイなどと言う人は果たして本人がそう思っているのか疑わしい。伝え聞いたことを自分の実感のように口にしているだけではないか。蟲は種類を問わず嫌いな人のほうが筋が通っているように感じる。単に好き嫌いを口で言うだけならましだが、不快害虫と称して蟻や団子虫やナメクジを殺し、蛍は必死に増やそうとする。好き嫌いは主観だから、それこそ人それぞれなのだが、だからこそ好き嫌いの画一さが気持悪く、そこに感受性の欠如を感じるのだよ。

コクリコ坂から

終始ノスタルジーに包まれた青春恋愛版「三丁目の夕日」あるいは「耳を澄ませば」に似た印象。1960年代にも数々の時代の負の側面があったのだろうが、懐古的で肯定的なものだけが画面には映し出される。嫌な記憶は忘れやすく過去は美化しがちだけれどもそれがあながち悪いものだとは思わない。その象徴的に抽出された昔の「よきもの」の中には残すべきものが多いと基本的には考えているから。


「安っぽいメロドラマ」と劇中でセリフがあるぐらいメロドラマな展開なのだが、最後まで爽やかさは変わらない。誰もが純粋で残酷だった学生時代とあの頃の根拠のない志を思い起こさせてくれるよう。古いが立派な洋館の建て壊しへの反対。重層的で魔窟のような寮。最近訪ねた駒井邸や長楽館、外から見た京都大学吉田寮熊野寮を思い起こさせる。物語に登場する題材も好きだ。


監督の宮崎吾朗にも興味がある。最近、森元首相の息子が死んだ。森元首相が偉大な父だとは思わないが政治家として絶大な力を持っていたのは事実なようで、同じ政治家の道を歩んだ息子にとって常にのしかかる存在だったらしい。息子は酒に溺れ、飲酒運転で政治家生命を断たれてからはさらに不養生が進んで42歳の若さで多臓器不全で逝った。父の存在が重荷だったと周囲から同情が寄せられていた。宮崎吾朗の心中はどうだろうか。父が宮崎駿であることからは逃れようがない。ごく幼少期には父の描く作品の世界観を素直に楽しんだかもしれないがそれも短い間で、自我が確立されてからはジャパニメーションの世界で神格化された父を意識しながら生きる年数のほうが遙かに長い。もう死ぬまで意識するだろう。


宮崎吾朗は何かの雑誌のインタビューで父と比べられることに苦しんでいると吐露していた。反発心もあると。また、ファンタジーはもうやらないといっていた。ファンタジーは日本ではもう表現し尽くされていてそこに新たに自分が創造できるものは無いと。コクリコ坂で伝えたいことは「純粋な感情や懸命さを大事にする」といったことなのかと思った。彼の前作「ゲド戦記」は父と同じ路線を試みたような中途半端さがあった。今作は彼の世代、彼の感性によりそぐうものなのかもしれない。だとしたら今後が楽しみだ。


興行的に成功するのかはわからないけれども、こういう作品をもっと見たい。実写のドラマでは同じ役者が素知らぬ顔をして他の作品やCMで出ていて違和感を感じるが、アニメの登場人物はその作品の中だけに閉じ込められた唯一無二の存在だ。アニメであること自体がファンタジーだとも思う。宮崎駿の息子だというだけで最初から高い下駄を履いているが、「借り暮らしのアリエッティ」の米林宏昌にも作品を作り続けてほしい。彼の作品の人物の動きの躍動感や表情の細やかさは素晴らしかったと思う。ハウル、ゲド、ポニョ、アリエッティ、コクリコ坂と原作のアニメ化が続いており、しばらくオリジナル作品を見ていない。やがては宮崎駿が脚本を用意して若手育成のために撮らせる借り物の物語ではなく、独自なものを観てみたい。

朝顔

江戸時代の人たちがのめり込んだのも合点がいく。



絹のような光沢に陽を透かした淡く深い青。皺や重なりが濃淡の表情を生み出す。



極めつけはこの「団十郎」。海老茶というか臙脂というか、なんとも言えない渋い色。美しい茶色を目指して品種改良を繰り返すとはなんとも日本的ではなかろうか。茶色と灰色のような低彩度の色に異様なまでの美意識を見出した文化は日本以外にもあるのだろうか。


夏の寝相

台風は暑さも連れて去っていった。ここ1週間は窓を開けるだけで快適な日々だったのだが一気に暑さが戻ってきた。


我が家では基本的に冷房はつけない。風が止むと暑さは籠るが毛を短く夏仕様に刈り込んでいる犬にはもう脱ぐものがない。



そしてひっくり返る。野性味の微塵も感じられぬ寝相。まあ、サバンナのライオンも腹を出して寝るので敬意を払って捕食者の寝相だということにしておこう。身を脅かすモノがいない強者という意味で。しかし当然我が家でのヒエラルキーでは最下層。

あちらこちらで


三脚なんてもっていないので大抵ピンボケする。それもなんだか動きがあって良いと思うことがある。



まだまだ各町で祭りは続く。この浴衣の歌舞伎柄、強烈でなんかいいな。おばちゃんのガニ股ステップも親しみを感じて良い。勝手に載せてごめんよ。

川遊びと陶芸

良くして頂いている友人ご一家にご一緒して、京北の陶芸家ご夫婦宅にお邪魔した。車1台に6人ギュウギュウに乗って曲がりくねった山道を1時間北へ。


茅葺にトタンをかぶせた古い民家が並ぶような集落のはずれにお宅はあった。京都を30km以上北上した桂川の源流近くである。住居、作業場、ギャラリーが建つ眼下には桂川渓流が流れており、まずはそこで子供たちと友人と10年ぶりに日本の川で遊んだ。流れが曲がった深みを潜ってみると川魚が忙しなく行き来している。20?はあろうかという鮎、川睦、京都でゴリと呼ぶヨシノボリの類。立っていると縄張りから排除したいのか足を啄んでくる。殿様蛙や羽化したヤゴ、虻など目を凝らすとあちらこちらに生物がいる。そんなんを子供達が上手に網で掬った。


そういえば小学校の頃、悪ガキ仲間と遠くの山奥の渓流に河鹿獲りしに親に無断で何泊かしたことがあった。友人の親は泣いて怒るほど心配して、一緒に友人を連れだした自分も随分申し訳ないことを思ったが小生の親は「あんたのことだからそんな心配してなかったけど今度から連絡はしなさい」と言われただけで拍子抜けした。しかし銛で突いて獲った河鹿を焼いて食べて、テントで寝て、翌日には河鹿を食べ飽きて帰ったのは愉しい思い出になった。


その後、作業場で土遊びをさせて頂いた。最初は手捻りで自由に器を作り、その後交代で電気轆轤を使わせて頂いた。友人の息子は器を作った後は和式便所などを作り始める始末。小生は埴輪を作ろうとしたが何やら訳のわからない人型になった。極めつけは友人の作品で、無数の人型が埋めつくさんばかりに互いを踏み台にして競い登っているシュールなオブジェ。地獄絵図だの、蜘蛛の糸とカンダタだの、サラリーマン社会の縮図だのと皆の妄想を膨らませて盛り上がった一番の秀作だと思う。




そこのご主人は企業勤めをすることなく陶芸で身を立て、お子さんも立派に育て上げられたそうで、今現在を見ると好きな陶芸で生活し、緑豊かな山麓の渓流を望む高台に住居を構え、男の夢の引退生活を体現しているような塩梅。もちろん昔は現金収入が厳しかったであるとか、車が無いと生活が成り立たないので今後も車を運転できなくなった後を考えると心配だなどと苦労は尽きぬとのこと。ただ、ご夫婦の温和さがそれを感じさせない。奥様の多大な苦労あってのことだけれども、幸せな人生の一つの解のようにも思えた。


さて、その陶芸家のご主人が我々が残したやっかいな粘土の固まりにどのような釉薬をかけるのか、どう焼き上げて頂けるのか。和式便所は酸化焼成すべきか、還元焼成すべきか。モノがモノだけに非常に興味深く楽しみだ。

陶芸教室の釉薬による差別化

先生の作品はいかにも陶芸というふうに複雑な発色の深い色や金属光沢の混じったものが多い。同じ釉薬が使えるかと聞くとそれは先生が特別に調合した釉薬なので使えないという。


陶器における釉薬が外観上与える視覚的効果は非常に大きい。初心者生徒に使える釉薬は単色でのっぺりとしていかにもガラクタな感じに焼き上がるものが多い。造形の不味さは時に味わいがあるなどといって自分を慰められるが、色の安っぽさは取り繕えない。


鉄やらマンガンやら金属光沢のある釉薬を自由に使わせて貰える陶芸教室はないものか。形は歪でも渋い色に焼き上がる。そんなところがあればもっと陶芸愛好素人は増えるのではないか。陶芸教室も潤うのではないか。なぜ生徒が使える釉薬が限定的なのかいくつか理由を考えてみた。

  • 焼成温度管理が難しい。複雑な釉薬は期待する色を出す為の焼成温度の範囲が狭いものもある。また、他の陶器と異なる焼成温度の釉薬を使ってしまうと困るということも考えられる。しかし通いの素人にとって窯焼きは全て先生任せだ。よって素人が温度調整をしくじって台無しにする恐れはない。焼成温度さえ他の釉薬と同じであればより多様な釉薬を使わせること自体は可能ではないだろうか。
  • 売り物と職業陶芸家の保護。陶芸はプロとアマチュアの境界線がとても曖昧な世界だと言われる。陶芸家は大抵独自の釉薬を研究しており、それが作家作品の個性や希少性、ひいては市場価格に繋がる。よって秘中の釉薬を素人が自由に使えると相対的に作家作品の価値が下がるのではないかと。
  • 成功率の低さ。複雑な成分構成の釉薬ほど期待通りに発色させるのが難しいという。同一品を複数作り、出来の良いものだけを残すような遣り方は素人には技術的にも金銭的にも難しい。たった一つの作品が失敗した場合にそれを納得してもらうのは時に難しいかもしれない。


経営という観点では素人でも見栄えのする釉薬の使える陶芸教室というのは大きな差別化要因になるのではないだろうか。窯として成功率の高い複雑な色味の釉薬を開発し、それを売りにするのだ。うちの陶芸教室では他では使えないこんな渋い、重厚な、美麗な釉薬が使えますよと。そんな窯があるなら小生は選ぶ。多少遠くとも。まあ、あとは値段との相談ではあるが。

五条坂陶器まつり

琵琶湖大花火大会そっちのけで五条坂陶器まつりへ。何やら陶芸づいた週末となった。この祭は1920年六道珍皇寺大谷本廟へお参りに行く人々に対して、五条坂に店を構える陶器屋が登り窯で出た二級品を陶器市として売り出したのが始まりだそうで、現在ではその規模は日本最大となり来客数は50万人にもなるとのこと。京焼意外にも萩、有田、信楽など日本各地から器が集まり、五条坂両側に500店近くが軒を連ね、通常の30%〜50%引きで陶器が買える。


清水五条駅周辺には若手作家の店が多く集まるという。あわよくば、お得な値段で将来有望な作家の素敵な作品を手に入れられないかと期待に胸を膨らませて歩いた。客層はやはり陶器好きということで年齢層は高めだ。客と店主のやりとりを聞いていると面白い。


主人「この作品はズンドコなんですよ」
客「へえ、ズンドコですか。良い土の色してますね」


ズンドコ。なんのことだろう。頭の中では「ズン、ズンズン、ズンドコ」と唄ったところでオバちゃんの「キヨシー」と合いの手を入れる嬌声が鳴り響く。それ以外にズンドコという言葉が使われる事例を知らない。


まあ、なんてことはない。「全部常滑」を略して「ゼンドコ」と言っているのを聞き間違えていただけだった。そんな符牒で会話するあたりに客層がただならぬことを窺わせる。その他にもブースの傍に立っていると出店している陶芸作家らの会話が聞こえてくる。「今年はどの店もイマイチらしい」「ここだけではなくどの陶器市も動きが悪いらしいね」。清水焼団地の陶器市は例年夏に行われていたらしいが、五条坂のものと時期が被っており客入りが芳しくないために秋に延期したのだそうだ。


いくつか感じたことを書き留めておく。

  • やはり京焼きの技術水準は非常に高い。何度も窯入れして造る非常に手間暇のかかる品が多くあるが、どれも1万円以上して手が出せない。また、キレイすぎてつまらないというか普段使いの器にするには味気ない。表面が装飾されすぎて土の味わいが無いのだ。京焼の良さがまだわからない。
  • 五条坂の陶器卸店などには庶民的な器も置いているのだが、たった一ヶ所の小さな黒点の為に二級品扱いになっていたりする。その厳しさには同情するが、結局お客さんも買う際にキズものは避けるのでワケアリ品は作家に返品される破目になる。店の信用にも関わるので厳しく吟味し、普段は返品しているものを陶器市では二級品として安く売るそうだ。陶器製造業に仕損じ品が出るのは前提条件とも言え、そこは大きな窯元ほど規模の経済を働かせられる。
  • この厳しさを目の当たりにすると、新人作家の作品など申し訳ないが殆ど二級品と言える。けして造形や技術が拙いという訳ではなく、大抵どこかに微細な欠けや皹、黒点や縮れがある品を手作り感の良さとして開き直って売っているということ。さらに老舗の窯の作品を見た後だと、新人作家の品は粗い割に値段が高いと感じるようになる。老舗の窯ならワケアリはすぐ半額だが、新人作家の作品は2500円、4500円とそれなりの値段がつけられている。粗が気にならないような作風のものを選ぶか、よほど好みの作風のものに絞り込もうと思った。


とある店で平皿が1200円で売られていた。ワケアリな品ではないようで、形も良い。なんでも作家が意図した発色をしなかった失敗策だから安くしているのだという。数倍の値で売られている成功作を見せて頂いたのだが、正直それはもう好みの問題でしかないと思った。同じ釉薬で同じ品の出来上がりを想定しても窯の中の位置の違いなど微細な条件の違いで全く見た目の異なる皿が出来上がる。陶芸は難しい。そんなわけでまだ作家から成功例が届いていないという釉薬の皿を一枚買ってみた。釉薬が焦げてしまって失敗なのだという。また今度、成功例がどんな作風なのか見に来るという楽しみができた。

左が成功例、右が失敗例とのことである。

五条坂陶器まつり戦利品

幸いにも勤め先から小さな賞与を2万4千円ほど頂き、それは家計に編入しなくとも良いとの合意を妻から得られた。俄然、気が大きくなり普段は高くて手の届かない作家作品をあれこれ買うことにした。


自分でもそのうち作れそうな器は避け、到底作れなそうな作風や技術的なものに絞って探そうと決めた。恐らくこの時点で片腹痛い素人発言に違いなく、自分でもいづれは作れると思い込んでいるだけで何年経っても無理なのかもしれない。事実はどうであれ、素人が買いたいのは憧れるプロの作品だ。


比叡平で作陶している木村年克氏の作品。鉄を酸化させて青味を出しているという。リムのついた皿とコップがそれぞれ1,500円と1,200円。メタリックな外観とは裏腹にとても薄く軽い。この滋味のある落ち着いた色合いは良い。なかなか良い買い物をしたと思った。





萩焼の平皿と蕎麦猪口を散々迷った末に買った。正直に言うとアクが強く浮いてしまう可能性が高い。しかし縮れの入り方と釉薬の白さに惹かれるものがあった。平皿は取り皿や菓子皿に、蕎麦猪口は蕎麦以外にも焼酎やハイボールを呑むのにも使えそうだ。二つで2200円也。



今日の掘り出し物は作家さんによるこの緑氷裂貫入紋の酒盃。氷裂がより大きいほうが最近は好まれるので値を下げたそうだ。それでも店頭ならば3,500円で売ってもらっていたという品が1,000円で。ちびちびと日本酒を呑むか。



そうなると酒器も欲しい。釉薬を掛けずに焼き締めた酒器を草津の淡海陶芸研究所という所で焼いてらっしゃる作家さんから買った。ともすると鉄器のような黒い肌で若干茶色くなっている部分があたかも錆のよう。シンプルな造形なのだが、注ぎ口が絞られていて強く傾けてもチョロチョロとしか出ない飲兵衛設計。胴には窪みが作られており非常に持ちやすくもなっている。本日もっとも値の張る4,000円。それでもだいぶ安くなっているのだが。作家モノの陶器って高い。。。

水鏡面の睡蓮

もともと仏教の経典では蓮ではなく睡蓮を取り上げていたらしい。それがいつからか蓮にとって代わられて現代に到ると。


睡蓮は英語を直訳すると水百合。睡蓮と蓮は種属としては大きな隔たりがあるらしい。一般的には蓮は水面上に葉が立ち上がるが睡蓮は水面に浮かぶ。蓮の葉は撥水するが睡蓮の葉は撥水しない。蓮の華は咲き終わると花弁が落ちて花托が残るが、水連の華は閉じて水面に沈む。そんな違いがあるらしい。


睡蓮は葉が一面に広がる中から華だけが立ち上がる。華も葉も立ち上がり森のように立体的な群生を形成する蓮に比べると睡蓮は至って平面的だ。



水面に映った華の色は実物を直視した色よりも深く魅惑的だった。光が水に反射する際に何がしかの波長が反射されずに吸収されるのだろう。水面下にある鏡面世界は不思議な色彩を帯びているらしい。睡蓮の魅力を引き出すには上から見下ろすのではなく、ここの睡蓮池のように視座が水面に近い高さになるようにしたほうが良いようだ。反射した姿が見えるほどの水面の広さがあり、かつ目の高さに睡蓮鉢を置くとなると容易ではない。でも睡蓮を愉しむには一番のように思う。



葉の間から妖艶な華首を水面下に立ち上げ、咲き終わると水面下に沈んでいく。蓮が聖なる仏華だとしたら水連はどことなく蠱惑的な華だ。



草津市立水生植物公園みずの森
〒525-0001 滋賀県草津市下物町1091番地
http://www.mizunomori.jp/

マニラ行き

以前フィリピンで働いていた頃にブログを書いていた。それを読んでフィリピンの話をもっと聞きたいとブログを通じて連絡してきた方とお会いした。何でも奥さんが転勤するのに自営業をしている旦那さんが着いていくのだそうだ。二歳の娘さんもいるので住宅事情、生活環境、どこで何を買えるかなど聞いておきたいとのこと。。


現在は滋賀の山向こうで築130年の御屋敷を改装して住んでいるというなんとも羨ましい方達。東京で共働きしていたが、世界一周したのちに様々な柵を捨てて田舎に居を移し生活を大転換させたのだという。無農薬有機野菜と新鮮な空気、緑に囲まれた地に足をつけた生活。


マニラのコンドミニアム暮らしなんて対極的な環境だろうが、長い人生の中ではそれもご夫婦の立ち位置や価値観を磨く糧になるのではないかと思い可能な限りの情報を提供した。


こちらもいろいろと興味深い話を聞かせてもらった。住んでらっしゃる滋賀県蒲生郡日野町では役所が中心になって「民泊」という観光誘致を行っており、役所が窓口となって海外のホームステイ希望者や国内の中高生を民家に斡旋しているのだという。受け入れる民家側も宿泊させるかわりに経費として5000円を受け取れるのだという。若い役人さんが熱心で、受け入れた人を見送る際には100人でも200人でも一人づつ握手して見えなくなるまでバスを見送るのだそうだ。変な人がやってきたら、変な受け入れ先だったらと苦情が来る可能性だってある。役所は大抵そんな面倒は避けたそうなものだ。蒲生郡は平成の市町村の大合併にも靡かずに独立自尊の精神が強く助成金などに頼らずに創意工夫してきた。そんな歴史と伝統もあるのだろう。


自慰的な絵日記もこんなひょんな出会いをもたらしてくれるのなら続ける価値もあるのだな。我が家もホームステイでも受け入れてみようか。


http://www.town.shiga-hino.lg.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=941

悪態

テレビでは時節柄太平洋戦争追悼ドラマをやっていた。史実に基づいた話で米国のMISという情報通信部の米兵となった兄と鉄血勤皇隊員として少年兵となった弟、そしてそんな兄弟を送り出した父の数奇な運命。


しかし音楽にハリウッド映画「硫黄島からの手紙」のテーマ音楽を使っているのにいささか興醒めした。製作者ってクリエイターではないのかね。自己表現したい人間ではないのかね。そんな有名映画の音楽から雰囲気を借りるような安易なことをするとは台無しだよ。仮に遣唐使の航海の苦難をドラマにするとして、そこにタイタニックの音楽を使うぐらいのヤッチマッタ感がある。


その後の世界弾丸トラベラーはトルコ旅行だった。道端なんたらという女性がトルコ石が一面に並んだ宝石店に入っていくのだがトルコでトルコ石はそもそも産出されない。観光ツアー客みたいな薄っぺらさで偏見や勘違いを助長する内容にこれまたがっかり。トルコ石は殆どが染色した他の鉱石かイランなどから輸入していても相当高価だ。騙される日本人観光客を増やしてくれるなよ。

The Tree Of Life

ショーン・ペンブラッド・ピット、そしてカンヌ映画祭グランプリということで早速観にいってみた。


しかし監督はテレンス・マリックで、この人は「シン・レッド・ライン」という戦争映画を撮った小生にとっての鬼門の監督。巨匠、感動作という言葉に釣られて貸しビデオ屋から借りたものの、途中で退屈すぎて観るのを止めて返してしまった。しかし数年後に最後まで見なかったぐらいなので記憶に残っていなかった自分は再度借りて同じ結末を辿った。それをこともあろうか2回も繰り返してしまった、小生にとってのトラップのような作品を撮った監督である。


不安は裏切られ、観てよかったと思った。しかし開始20分ほどで両隣が寝ていた。そういう映画ではある。観て再認識したのは「虚心坦懐」の重要さ。単に親になったというだけでそれまで愚かで非力だった自分が完璧になれるわけがない。そんなものは子供は見抜く。支配しようとすることよりも受け入れることだそうだ。


只管映像が美しい。過去、現在、家族、宇宙の映像が散文的に説明もなく入り乱れる。幼少期の母と息子の日常を追う映像が素晴らしく、畏まって椅子を並べて座っているような退屈さではなく、日常でふと幸せの感触を得る微細なものにしっかりと目を向ける。特に低いアングルから見上げる描写が多く、無理に全体像をフレームに収めることをしない。


こんな家族のビデオを撮れたら素敵だろうね。

下賀茂 納涼古本まつり


賀茂神社で毎年行われる、京都古書研究会を中心に他府県の古書業者を含め約40店舗が出店する古本まつりを覗いてきた。80万冊以上の古本が野外即売される。駐車場には大型バスが停まり、宅配便の手配所や荷物預かり所も完備されている。その分野の愛好家に人気の催事なのだろう。




糺の森の脇にテントが並ぶ。ここは流鏑馬神事で馬が走る砂利道でもある。テントもなく完全に露天に本が積まれている所も多く、雨が降ったらどうするのかと若干心配にもなる。



生まれる以前の少年マガジンやジャンプ、生まれる遥か昔の漢詩集のようなもの。もちろん当時の値段よりも高いのだが、それでも収集家向けの値段ではなくそれこそ数百円で売られている。



古本の供養も背景にはあるらしい。美術書や学術書なども多く、定価9500円の美麗な美術品目録が2000円で売られていたりする。新しい持ち主を探す場は良いことだ。



100年以上昔の絵葉書も売られていたりする。




子供向けの紙芝居やお話の語り聞かせなども催されていた。物を大事にする、再利用する、そして子供に文化を受け継ぐ催事は見ていて気持ちが良い。

賀茂窯から大文字 

友人が16日に大文字山に登ろうかと言っていたのは覚えていたのだが、仕事が一番忙しい時期なはずでまあ無理だろうなと思って賀茂窯のバーベキューに参加することにした。しかしその後に登らないかというお誘い。やっちまった。正直大文字山に登りたかったが夜だったので一人で登るのは躊躇っていた。よっぽどその後バーベキューをキャンセルしようかとも思ったがそれも迷惑がかかる。



まだ残暑が当分厳しそうなのでマンゴーを再度夏刈りにした。モヒカンというかタテガミのように背を残し、残りをかなり短く刈り込む。嫁さんには不細工になったとえらく不評だがマンゴーは涼しくて嬉しかろう。



夜の大文字山登山道にマンゴーを連れていくわけにはいかんし、たまには小生の我儘ではなくマンゴーも優先してやらんとな。やはり賀茂窯に行くことにした。



夕方とはいえまだ地面が熱いので、木陰を選んで歩きながら途中で鴨川にじゃぶじゃぶと入って涼んだ。4,5kmほど鴨川沿いを歩いたように思う。18時過ぎから賀茂窯で他の多くの生徒さん達と常連で集まりバーベキューをし、20時過ぎから大文字と舟形の送り火を眺めた。



集まった人には和菓子修行に京都に出てきたという人、ダイビングのインストラクター、陶芸家の卵達、さらにはイタリア人やアメリカ人なんかもいて普段会うことはなかったが思った以上に通っている生徒が多いことを知った。先生達とも雑談した。素敵な陶器は先生も若い頃は「買ったら負け、作れるようにならなきゃ」と他の作家の作品に対して思っていたらしいが、最近では他の作家の作品を買うことも楽しんでいるらしい。スタイルの違う作家のものは食器棚に彩を加えるし、似たスタイルでも目標となるとのこと。また、先生にも師事している師がおり依然として弟子であり修行中の身だそうだ。終わりなどない道。


マンゴーは人気を一身に集め、皆に大変可愛がってもらっていて始終尻尾を振っていた。マンゴーの夏刈りも好評で嫁さんに聞かせてやりたいぐらい。


大文字は数十分の間に気づかぬうちに消えていた。さほど先祖の霊を送るといった意識もなく、肉や野菜を焼いているうちに。うちの爺様なら日本酒や麦酒を飲みながら肉を焼いている人の集まりに寄ってきそうだし、炭火が送り火になってくれそうな気がした。


汗が自然と滲むような暑さの中にも夏が終わりそうな気配を感じた一日。

第三陣 窯出し

久しぶりに窯に行って焼き上がりの器を頂いてきた。相変わらず全ての器はどこかがあららという感じで、駄目な奴ほど愛着が湧くという気持ちになるのを待つしかない。


酸化織部を白粗土にかけて還元焼成したら渋い色になるかと期待したのだが、鮮やかでポップに発色した。上部の滴状に分厚くなっている箇所に青が出ている。線香立てにはなんとか使えそうだ。


黄瀬戸に飴釉薬と織部で加飾したものを酸化焼成した。しかし織部が全然発色しなかった。むしろ白抜けして全体の印象が締まらなくなった。還元焼成すべきだったか。これは鉢にしかならない。しかも屋内用か。


白粗土の鉢に黄瀬戸をかけて還元焼成したが発色が薄く間が抜けている。形は上手く出来たのに残念。折角だからサボテンでも移植してみようか。


丸底の碗に土灰をかけて還元焼成したものは縁が一部縮れた。形は悪くないのに分厚くて持った感触がもっさりしている。もっとギリギリまで薄くつくらんとな。釉薬が固まるとそれがかなりの強度を出すので釉薬を掛けた際に壊れるなどしなければかなり薄くても大丈夫なようだ。土灰の還元焼成はシンプルで好きだ。同じようなのをまた作ってみよう。


陶芸家を目指して修行中の若い女性のブログを見つけて読んだ。一年の修行の集大成として60もの器を焼くのだが、窯から出てきた作は多くが釉薬が縮れたり剥離したりして16ほどがかろうじて売れる品として残った。女性はショックにうちひしがれる。個人としてやっているそこらの作家なら気にせず売ってしまうのかもしれない。しかし器の造形と品質に自負のある名を確立した師匠の元で修業しているからには半端ものを完成品とすることは許されないのだろう。師匠は、一切同情は寄せない。どこか工程に粗があったのだろうと。「たぶん大丈夫だろうと手を抜いたり、なめていると結果はちゃんと悪いものが出てくる。そのかわり、しっかりやり尽くしたものには良い結果を見せてくれる。やった事を下回る結果は出ても、やった事以上の結果は出ない。だからやれる事は全部やる。」なるほど。


師匠とて一回の窯だし作品を全てボツにしたとたまに書いていたりする。陽の目を浴びるのは各工程を経る毎に仕損じが出た後に残った一握り。店で見る作品はその背後に幾つもの失敗品や廃棄品を背負っている。無論、それを全て価格転嫁できる訳がない。仕損じ率を下げることと市場価格を上げることはプロの陶芸家の命題でもある。


構想したものを複数作り、その中の幾つかが満足できるものに焼き上がる。技術の無い素人の気紛れで焼いた一点ものがそんな良く焼き上がる訳がないのだ。その厳しさと不自由さが陶芸に多くの人を惹き込むのかもしれない。

黄瀬戸陶器鉢 X 七宝樹錦

窯から出して初めて見た際にはまた失敗作が増えたという印象の器だったが、セネキオ属の七宝樹錦を移植してみたら思いのほか相性が良い。器が地味なのが幸いして植物の薄い緑と愛敬のある形を引き立ててくれている。鉢も中に植物が収まってこそ。植物も相性の良い鉢に収まると五割増しでよくみえる。引き立て合う。なにやら観葉植物好きと今年始めた陶芸が自分の中で役割をもって結び付いたように思う。


多肉植物は地味なのが多いので器が鮮やか過ぎては駄目なのだろうね。ひとつひとつの形に合わせた器を焼いてみたい。


夏は休眠に入り葉を落としている七宝樹にもそろそろ起きてもらいたいものだ。

第四陣 釉薬掛けと窯入れ

今回は黒土で器を3つ作ってみた。


一つはご飯茶碗。外側の胴の中ほどまでトルコ青を掛け、内側には黒マットを掛けて外側に大胆に流れ零して表情をつけた。というのは嘘で、実際には手元を誤って零れただけだ。ただ、思いのほか流れた数筋の痕が面白かったので良しとした。今回初めて作った実用を目的とした食器なのでうまく焼けて欲しい。鉄系の黒マットは流れやすいのだろうか。鉄系の黒マットと銅系のトルコ青が混ざるのかどうかも気になるところ。


一つは鎬タンブラーでよくある湯呑よりも大きく作ってある。熱が指に伝わりにくいよう、そして掴んだ際に滑り止めになるよう縦に溝を入れた。そこに白鳳という白い釉薬をかけ、溝の上部だけを削り落して黒い地肌を出した。断面が現れるのでどのぐらいの厚みに釉薬がかかっているかが確認できるのが興味深い。およそ2,3mm程度か。内側に釉薬を流し込んだ後に排出の手際が悪かった為、底に厚くかかりすぎてしまった気がする。縮れそうな予感。これも実用食器の2個目。はたしてどう焼き上がるか。



一つは筒状の小型の植木鉢。出来上がりの模様としては一番楽しみな作品かもしれない。内側には植木鉢なので釉薬を掛けずに通気性を良くし、外側には白鳳を掛けた。そして縁にマンガンを掛けた。マンガンを上に掛けると下の釉薬と混ざって流れ、独特の模様を生みだすらしい。


いずれも還元焼成で焼いてみる。

第五陣 成形

プチプチ丸皿と各皿。今回はたたらという麺棒で粘土を板状に延ばすやり方で造ってみた。ある程度流れる釉薬を用いればプチプチの凹んだ部分にも釉薬が流れて表面上は平らになってくれるのではないだろうか。青磁などの透明ガラス質の釉薬を掛けたら面白いかもしれない。


角皿は全面に青磁をかけてみようか。それとも一部だけ土肌を出してみようか。


丸皿は四辺をそれぞれ違う色の釉薬をかけてみようか。飴、青磁、織部、珈琲灰といった風に。煩くなりすぎる可能性もある。もっとシンプルにプチプチ部分を織部、中の四角を白鳳や白マットにするほうが良いだろうか。


結局同じ形のものを複数作って複数種類試作するということをしないので常に行き当たりばったりなのだよ。


気づいたらまた植木鉢が。。。どうしよう。不要なものを作った気がする。別にプチプチ皿は頭の中にはなく、単に木型を面白そうだから使ってみたかっただけなのだよな。

イケズ

北野天満宮のそばで買い物をしたとき、「おにいちゃんどこからきたん?」と聞かれた。


「御陵です。」
と答えたら
「御陵?」
と聞き返して来たので
「はい、蹴上の隣駅の」
と言葉を足した。大抵、南禅寺のある蹴上の隣駅ですなどと言えば伝わる。


そしたらおばちゃん、「あー 御陵って何処の県のことかと思ってわからんかったわ。御陵って反対側ずーーと遠くいったとこやね。私は京都の中のことしかわからんから。」


暗に御陵は山向こうの洛外は京都でないと言いたいのか。これ、京都もんのイケズ発言と受け取って良いだろうか。


京都の中心部に住んでいる人は祇園祭には熱を上げるが葵祭には鴨川の東向こうの祭なんてよう見に行かんなどと言う人もいるそうで、洛外の京都府民を下に見る人もいる。


別に気に障ったわけではない。御陵の産まれでもないし御陵の住環境の良さは気に入っている。むしろ観光客気分が抜けないので さてはこれが聞きしに勝る京都もんのイケズ発言かと思ってほくそ笑んだ。


盆苔庭に椛

昨秋に京都の各寺から採集して播いた椛の若株が順調に育っている。


半数は海外出張の間の酷暑で枯らしてしまったが、依然として永観堂南禅寺醍醐寺や疎水の椛の苗は生き延びた。


それを今回、まとめて角鉢の苔の一面に移植してみた。苔はマンジュウゴケとも言われる細葉翁苔で比較的陽射や乾燥にも強い苔である。


苗はまだ発芽して3対目の葉までしか出ていない。見事な容姿だった親株に比べて子株の葉の形は細長く歪だ。成長してもこのような細長い葉の株なのか、それとも次第に成長するにしたがって均整のとれた蛙手になるのか。もうしばらく気長に育てよう。

御朱印貼を広げてにんまり

東京から友人が遊びにきて、数日我が家に宿泊していった。


彼は寺社仏閣巡りや御朱印集めを愛するその年代ではあまり見かけない趣味をもった人で、普段自分も他の人に言うのが憚られるそれら趣味を一緒になって堂々と行えるものだから有難いものだ。彼とは東寺で待ち合わせ。早速、彼が東寺で参拝するや、9つの御朱印を全て頂いているのを見ると同じ穴の狢の匂いを感じる。東寺の御朱印は梵字が書かれている点で珍しく、東寺は幾人かいる御朱印を書いて下さる方がどの方も非常に達筆ではずれがない。信仰ありきで御朱印なら何でもいいから書いてもらいたいというわけではなく、デザインが美しいものを求めている点、そしてそれに数千円気にせず払える点など中途半端さや志向も似通っているのがそれだけでわかる。


夕食は芸術大学を出て仏画を描く傍ら扇屋で絵付けをしていると20代の子と、大学から委託されて曼荼羅を描いたり東寺五重塔の修復などを手掛けているというこれまた20代の若い子と、御朱印集めの彼に嫁さんと自分を加えた五人で山奥の蕎麦懐石屋で食事をした。その若さで高い専門性と自分の仕事への自負のようなものが時々垣間見えて感心する。なかなか聞く機会のない分野なので非常に刺激的だ。しかも普段は肩身が狭いのだが、今日は嫁さんが話題について来られないという逆転した現象で何やら気分が良い。


その後は皆で家に帰ってしばらく飲みながら話していた。女性陣が帰った後は友人とお互いの御朱印貼を床に開陳して、「やはり東寺梵字は良い」だの「どこそこ寺のは真中に芯が通っていてバランスが良い」だの「西芳寺のは僧侶の横顔の絵入りで非常に珍しい」だのと論評会となった。嫁さんは「もうついていけない」と言ったのか、「もうついていかない」と言ったのか記憶が朧だが早々にうちらを残して2階に寝に行った。御朱印に惹かれる二人に引く嫁。


こうして写真を見て振り返るとなんか外国人から見たら新興宗教儀式か呪術的な何かに見えるかもな。世間常識からすると深夜に印を並べて嬉しそうな三十路男二人ってやはり歪んでいる。でもそういうものこそ面白い。また遊びに来てくれんかね。御朱印ワールドを展開しに。


一緒にいた数日で彼は15ほどの新たな御朱印を収集していた。

日向大神宮


友人をマンゴーの九条山越え散歩に誘った。九条山を越えるとひっそりとした山間に日向大神宮が現れる。友人が山道で転んでしまったので消毒液を頂きに社務所に赴いたのだが、その際に頂くことができた。200円。ここだけ洛中の観光寺院の賑わいから取り残されて一昔のよう。


伊勢には遠くて行けない人達から「京の伊勢」と親しまれていたそうな。京の七口の一つとしてここ粟田口の一の鳥居周辺には弓屋、井筒屋、藤屋などの有名な茶屋があってかつては栄えていたそうだ。しかし今は訪れる人も少なくひっそりとしている。険しい峠道を越えて参拝すると興が乗る。


御朱印は雲紋が良い。

知恩院

知恩院の御朱印は三種有り、どれも額に入れたくなるような見事さ。



圓光大師二十五霊場の御朱印。文字は「法然上人」。流れるような法と上人の字体がかっこよすぎる。中央の印の上下左右の雲流紋のような装飾部も良い。



勢至菩薩の勢の字の躍動感、薩の字のクルリと円を描く自由な筆跡。



圓光大師二十五霊場ご詠歌
「草も木も 枯れたる野辺に ただひとり 松のみ残る 弥陀の本願」

霊山護国神社

終戦記念日に参拝しようと思っていたのだが、雨が降っていたので断念していた。今回、改めて友人と東山を歩いて回った際に訪れる機を得た。祖父がビルマ戦線に兵站部隊員として従軍していたこともあり、ここに祀られる何万柱もの御魂はどこかひっかかりを感じる。祖父は生還したから今の自分がいるわけで、戦死していたらこの世にはいない。


入口周辺には漫画のような坂本龍馬のイラストの入った看板やのぼりがあり、場にそぐわないと感じた。過去の犠牲者を祀る性格上、神社にも大衆迎合的な商業化は自粛してもらいたいものだ。しかも墓参りに入場料を取るというのも理解し難い。


護国神社には諸藩、諸県の招魂社がある。果たしてどれだけの人が望んで従軍したのか。散らざるを得なかったのか。国家指導者が導き間違って引き起こした、あるいは回避し損ねた戦争。少なくとも太平洋戦争における殉死者の多くはそれにより亡くなっている。


首相が靖国神社に参拝することは許されて然るべきではないのかね。国家指導者が参拝することは過去の過ちと犠牲を反省し肝に銘じる意義がある。特定の宗教を擁護することが違憲だとかいうテクニカルな議論もわかるが、国家の代表が慰霊碑に向かって追悼することを違憲とするのは一般国民の心情とは大きく異なるのではないのか。国家に軍属を強制されて肉親を失った親族が勝手に護国神社靖国神社に祀ることに拒絶を示すのもわかる。戦争に反対して処刑された軍政下の政治犯も祀られていない。不完全で一方的な見方の上に立つ存在ではあると思う。しかし首相の靖国神社参拝が犠牲者への追悼ではなく過去の戦争の正当化行為であるなどという他国からのずれた意見に屈しているのは随分と情けないことのように思える。

左が坂本龍馬の墓、右が中岡慎太郎の墓。


近代、現代の発展が無数の犠牲の上になりたっている。それを認識し、敬い、自分を顧みて叱咤する。そんなことをするのに不自由するとは理解に苦しむ。寄生しているかのような神社による墓の商業化も邪魔くさい。

建仁寺

久しく建仁寺は意識の中になかったが、こうして立ち寄ってみると外国人の来客を連れてくるのになかなか適した寺だと思った。今度誰かを案内する必要がある時には一つの選択肢に加えよう。


立地は四条河原町から歩ける距離で清水寺などへの通過点として申し分ない。建仁寺清水寺高台寺、八坂神社と大きな円を描くように回れば丸一日費やせる道順となる。



丸三角四角のいかにも禅的な掛け軸。



風神雷神の屏風絵、龍の屏風絵。どれも写真を撮ることができる。まあ、これは複製が置かれているからなのだが観光客にとっては何を見てきたかを写真に撮って帰宅後に友人に見せたりブログにアップするのも楽しみの一部なので、これができるのは大きい。なにせ撮影禁止の寺社仏閣は多い。特に外国人はそれが本物であるか複製であるかよりも見て刺激的で印象的であるかのほうが重要だろう。モチーフもどこかで見たいかにも京都という絵面でわかりやすさがある。



そして双頭の龍の天井絵。まだ新しいこともあるが、白が鮮烈でコントラストが強い。淡く霞んだ水墨の龍とは比較にならない迫力がある。この巨大さと明快な白黒も良いのだろうね。よく見ると豚っ鼻だけれども。



建物も広く、縁側に腰をかけて思い思いに寛いだりもできる。新しい建物の入口にはなんと予想外にバナナの木が植わっていた。禅寺にバナナとは新しい。温暖化が進んだらマンゴーの巨樹が石庭に立つような寺も出てくるだろうか。

座禅

ここ一週間ほど忙しなかった。新しい事業部長が取り巻きの幹部らを連れてシンガポールから来ており、さらに仕事相手が数日連泊していた。決めないといけないことが宙ぶらりんで先に進めねばならないことが多かったので脱線を遮ったり随分と直接的なもの言いをせねばならなかった。部下の子の予算の更新を見るのも時間の余裕がない中で幾度の修正が必要だったのでこれまた随分と直接的な言い方になっていたと思う。


そういうのを評価されたりもするのだろうが、週末になるとイガイガのような気持ちが滓のように溜まっている気がした。多少攻撃的になり、いつもよりは気が昂って頭が冴える感触。大抵、仕事は進むがその後に自己嫌悪に陥る。


そんなわけで久しぶりに大徳寺に座禅しにいった。心を無になんてできた試しは無いのだけれど、平常心は戻ってくる。蝉の音なんかがよく聞こえる。時間に追われると辛抱がなくなってコミュニケーションが雑になっているだけなのだよな。性急な判断や決断が必要な時にも柔らかく議論を誘導できるよう努力せんとな。


今日、動かしていた足がまさに目の前で止まった蝉を数匹見た。いつのまに十か所以上蚊に刺された。血を吸わないと子孫を残せない雌蚊も決死の攻勢をかけてきている。もう夏も終盤。

源光庵


ここには二つの窓が並んでいる。左の丸窓は悟りの窓。右の四角い窓は迷いの窓。仏教的概念を窓の形で現しただけでその窓を覗けば悟れるわけでも迷うわけでもない。それはそうだな。ただ、丸窓が柔らかな印象を与え、景色を一層落ち着く形で見せてくれるのはわかる。庭に面した大きな丸窓がもっと一般家屋にも普及しても良いのにな。秋の双窓から眺める紅葉が名物らしい。





亀に耳。玄武には耳が生えているものなのか。そういや、亀が脱皮するとは最近知った。知らないことが多すぎる。



狙い澄ましたかのように書と香炉の上の狛犬の大きさ、色までもがぴったりと合う。狙い澄ましているのだろう。恐るべし。

猪狛犬


狛犬の動物が猪の場合はそれをなんて呼べば良いのだろう。一般的に狛犬と呼びつつも実際は獅子と犬の対なのだが、獅子を無視してコマイヌと呼んでいるので、その動物がなんであろうとこれも狛犬なのだろう。狛は高麗伝来のという意味なので、猪やら鹿やらを狛猪や狛鹿と呼ぶのも違う。門前の対をなす守護獣は犬ではなくてもすべからく狛犬なわけだ。たぶん。


ということは、だ。一対の招き猫を据えたとしてもそれは狛犬なのだ。猫狛犬。わかりづらいね。実際には京丹後の金刀毘羅神社には猫狛犬があるわけだが。



あー



うん




建仁寺塔頭禅居庵摩利支天堂にて。摩利支天は猪に乗って現れるとされているからだそうだ。


京都の変わり狛犬を巡るのも面白い。巡礼コースになったりせんかね。
鼠-大豊神社:大国主命のお使い
鹿-大原野神社:鹿を神の使いとする奈良・春日大社より勧請のため
猪-護王神社:猪は祭神である和気清麻呂の窮地を救った
猿-新日吉神宮:猿は日吉大神の使者であり、信者の災いを去る
猫-金刀比羅神社:丹後は縮緬の産地で猫が鼠退治してくれるため
鳩-三宅八幡宮のお使い

ピルグリム 清水から

日本人は宗教色が弱い国民だとか言われるが巡礼にいそしむ人の数を目の当たりにするとその認識は改まる。リベラルな大都会のアメリカにしか日本人は馴染みがないから保守派のキリスト教徒が強い影響力を持つことに違和感を持つように、あるいはイスラムやキリスト原主義者達の凶行が理解できないように。普段、自分が接点をもっていないからといって彼らがいないわけではない。


で、だ。京都をうろついていると思いの外たくさんの人が霊場巡礼だとか家が帰依している宗派の総本山にお参りに来ている。彼らが布教じみたことも声を上げることもせず黙々と回っているので他の観光客に紛れて気付かないだけだ。


宗教はよくわからんし、自分の信仰心も疑わしい。ただ、自分を省みたり家族や異国の友人の健康や平穏を願いながら、もろもろを思案したり本を読んだりして旅する道中の時間は好きだ。


清水寺で西国巡礼の御朱印帖を新たに買い求めた。廻ってみるか。

松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん

日本銀行券煎餅

先週、日本銀行勤めの友人から頂いた。なかなかの出来栄えだ。流石に透かしは入れられないけれども。


「諭吉先生の顔が長い」、「仕事が甘い」といったことを曼荼羅描きの女性は言った。モノづくりの現場の者からの手厳しさが可笑しかった。


銀行券サブレの外注先はきっと日銀天下り企業に違いない。うちらの中では暗黙の了解事項となった。


いっそのこと御朱印サブレなんて作れないか。銀行券サブレの隷書体の印の精度を見る限り、御朱印と墨書きもかなりの精度で再現できそうだ。「西国三十三所の第一の札所にお参りに行ってきたよ」なんて言いながら大判の御朱印サブレを土産に渡す。土産話を聞きながらポリポリと齧る。三十三所のサブレを収集したい輩もきっと出てくるはずで売上の増加が見込める。御朱印サブレを持ち帰ることで御利益のおすそわけのようにもなるし、食べれば邪魔にはならない。巡礼者の行動様式に当てはまる良い商材だと思うのだがどうだろう。友人にはさっさと出世して天下って御朱印サブレを作ってほしいものだ。

洋館カフェ 五龍閣


清水寺を下った横道にいつのまにか有形登録文化財の洋館を使ったカフェができていた。ここは以前は順正の湯豆腐屋だったのだが、カフェのほうがもっと気軽に利用できるので小生のような人間には有難い。



長楽館、大山崎山荘に次ぐなかなか立派な洋館。珈琲などが600円前後で値段はそれなりに高いが、雰囲気料であろうし、高い分人混みの激しい一角にあっても客が少なくて息をつける。大きな窓とステンドグラスに囲まれたサンルームのような一角がとても気持ちよさそうなのだけれども、そこは喫煙席になっている。


京都にもまだまだ非公開の名士の旧邸宅などがあるのだからカフェにして活用してほしい。京都の金持ちにも、やがては文化財登録されて活用されるような普請道楽をして欲しい。庶民の勝手な願いではあるが。