随心院 小町祭

小野小町祭とやらが執り行われていた。ミス小町、準ミス小町が並んで坐り、小町像と地蔵観音像の前で僧侶が奉経していた。


NHKなど数社のメディアが取材に訪れているものの、随分と前から各駅にポスターが貼られ告知されていたことを思えばなんとも寂しい客の入り。紅葉の最盛期の京都にあって、山科のはずれにわざわざ足を運ぶ観光客は少ないのかもしれない。あるいは、貼られていたポスターは京都周辺の駅だけで、大阪や東京から来る観光客の間では認知度が低かった可能性もある。外国人観光客は皆無だった。


目が切れ長で頬もふくよかな中世の女性。小野小町を世界三大美人に数えているのは日本だけだ。当時は歌の巧さが美人の基準でそもそも貴族階級の女性は人前になど出なかったという話もある。現代の日本の美意識でも小野小町が万人の支持を受けるか怪しいものなのに、大きな目と彫りの深い顔が美人の主流である欧米人が認めるとは思えない。


どうやら別に小野小町の美しさを称えた寺ではないらしい。むしろ若さと美しさの最盛期を過ぎた小町が余生を送った寺で、儚さと無常観を今に伝える。寺には小町老衰像という小町が老いて老婆になった頃の像が伝えられている。


ここ随心院には小町梅園があり、無数の梅が咲き誇る春には「はねず踊り」という有名な祭がある。桜目当てに醍醐寺に行くか、梅目当てに随心院を訪れるか悩ましいところだ。