京都の人混み

紅葉の寺院、鞍馬の火祭伏見稲荷の初詣、下賀茂神社の蹴鞠初、毎月の天神市や弘法市。行く先々で観光客の大行列に出くわす。


巨大な購買力がうねっているようなものだ。自分の好みならば多少値段が高くとも厭わない若い人、子も離れ趣味に費やす資力のある団塊世代、人生の終盤に差し掛かり文化的なものに重きを移していく初老の人達、人気で物価の安い国に飽きあえて日本を渡航先に選ぶ欧米人、ご近所で安全だからと訪ねてくる韓中の富裕層


世界的な不景気、円高、寂れた商店街や多大な償却費に苦しむ箱物商業施設なんかのニュースばかり聞く。恵比寿ガーデンシネマサントリーミュージアムも閉まるらしい。そんな話も京都の人混みを見ているとぴんとこない。


実感としては一極集中が一層顕著になっているということ。こと、日本人に関して言えば、どれだけ混んでいて並ぼうがハズレの無い消費行動をしたいということなのだろうか。タベログなんかを観ても人気の高い店にさらに人が集中して行く。その分野で思い入れの強い人を除けば、誰も敢えて無名だったり評価の低い店を開拓する気は無いのかもしれない。消費行動にも失敗する余裕や冒険する余裕がなくなっているのだろうか。それとも主観的評価に自信がなくて、一般的に良いとされるものにしておきたいという保守的兆候なのか。


その他大勢に埋没すればジリ貧だが、ニッチでも特定分野やジャンルでもとりあえずそこにしておけば間違いはないという地位を確立できれば昔以上に稼げる世の中になっているのかもしれない。京都は無名のものが突如爆発的に人気が出る揺籃の地に成り得るのか。それとも世間一般が京都に期待する先入観に沿うもの以外は浮かばれない地なのか。