大原騒動での直訴と農民の死罪を偲んで

飛騨は93%以上を山林に覆われ、永らく「食足らぬ国」と言われた地方。暗く厳しい歴史もある。


飛騨では1771年から18年にも渡る大原騒動と呼ばれる大規模一揆があり、陣所にその資料が展示されている。代官とその上の階級である郡代は一重に所轄する地の石高による。そこで飛騨代官大原彦四郎は新旧新しい田畑に非常に厳しい検地をし、10万石相当の郡代へと昇進する。これに農民は立ち上がり、江戸の勘定奉行に直訴する為に代表8人を送るが皆、牢死あるいは死罪となる。大規模な一揆へと繋がるが、大原彦四郎は幕府の助けを得て2000人の兵を送り鎮圧し、一万人以上を処罰した。そのうちの善九郎という19歳の若者が17歳の妻、かよに送った遺書が高山陣屋に残されていて胸が詰まる思いで眺めた。


その後も大原親子の搾取と悪政は続き、再度息子亀五郎の代に農民が再度駕籠訴を行ってようやく幕府の検分が入り、大原郡代は悪事が認められ流罪となる。しかし直訴を行った農民も死罪を課せられる。この後、ようやく悪政は改められ、過酷な重税も緩和されて人々の生活は救われる。それにしても非の無い農民が死罪に課せられ、郡代が流罪で済まされると言うのも不条理な話だ。そして自己犠牲を払った農民の高潔さと勇気には頭が下がる。遺品を目の前にすると、それが単に教科書の話ではなく血の通った人達が実在したという存在感に圧倒される。


資料館で昔の人を偲ぶように、自分の人生を振り返ったとする。


常に過去は未開で暗く迷信に満ち不条理に映るかもしれない。数十年前ですら黒人を法律上差別していたわけで、一世紀前には当然のように奴隷貿易という人身売買が公然と行われていた。現在に目を向けても紛争や差別は尽きぬし、食料の4割を廃棄するような豊かな国に住む人々がいる一方で1日2ドルで暮らす貧困層が溢れる世でもある。これも未来からすれば、暗黒時代のように思える唾棄すべき不条理かもしれない。


いつの世も不条理は尽きぬものかもしれない。どんな世にも高潔に生き、その光跡でもって人の心を動かす人がいる。反対に身勝手に生きて悪名を刻む者もいる。そして漫然と生を費やして消えた無数の人がいるのだろう。


自分を振り返ってみるとどうか。僅かな禄高を増やすために自分だけの為に窮窮としてやいないか。小役人の微細な階層を上がる努力やその当時のしがらみなど現代人からしたら実にくだらなく思うが、後世の人がまさにそう思うようなことに自分は随分と捉われていやしないか。精神性において現代に生きる自分は過去に生きた人よりも進歩しているのだろうか。甚だ恥ずかしい思いがする。