水平線を眺めながら海しか見えない湯船に浸かる。
フェイスブックやツイッターにはさぞ自分の生活が充実しているかを誇示するかのような情報を載せるのが一般的な傾向だというのが定説のようになっている。美味しい食事を食べた時、少し贅沢をした時、何か嬉しいことがあった時。愚痴でさえ綺麗にまとまっていたり、共感がえられそうなことが書かれ、他人からどう見られたいかに沿った書き込みになるんだそうだ。そのようなしたり顔した論調が雑誌や新聞にも増えてきた。
しかし、恵まれているにも関わらず理由のわからない欲求不満を抱えているような人達が日々の些細な幸せごとを振り返って書き込むことで自らがそれなりに充足していることに自覚的になるのは良いことなのではないか。足るを知らな過ぎるから世の中、殺伐としているのかもしれない。潜在的に満たされている人達の自覚を促す意味でフェイスブックやツイッターも社会に貢献しているのか。
幸せな振りをして余計に虚しくなったり他人が幸せを噛みしめるような記述にやっかむのは表面を取り繕うにも無理がある不満を抱えているということなのか。そんな時は自分に向き合って現実をどうにかしないとし方がないのかもな。